Real me exit here! スタート2012 at IKKI(現在2014)


これはブログではないけれど、タイムリー感があるものしたい。
 時代が変ると、なぜこんな時間が過ぎず、月日が早く過ぎるのだろうか? 
 たぶんだいじょうぶ!
 そんな思いにかられながら、狭い空間を眺める。
 もうすぐ6月!雨が心を濡らすが日々がやってくる。
 今は現状のまま、何も考えずに、一歩一歩目の前だけを見て
 歩いていこう!将来の私!待っていてくれ!
 
 前回、意気込んで書いた割には3ヶ月放置!
 どうにもなりませんな!
 気を取り直して、再開します。
 つまり、FACEBOOK依存症になっていて
 アッチの方が効果があるという勘違いに気が付いてはいるんだけど
 なかなか、見ちゃう、世話しちゃう、繰り返しちゃう。
 そんな感じだ。
 お金も払ってんだから
 こっちをちゃんとしよう!
 お~~~~~!

2018 5-22
とうとうHUMAN CREATEと言う派遣会社に鞍替えした。
相当心配だが、致し方ない。
体制を整えるにはこれしかない。
危機を楽しむくらいないと、50代はやっていけない。
しかしいつもこんな感じだね!
仕事は理想的なんだけど、常に職場が変化するので
その不遇感がストレスになる。
なんて言うか仕事に対し時間的な距離を置く体制がない、常に早く!
なので、時間が余ってしまう。
半日余れば、どうしようもない。
しかし
こんなおっさんは仕方ないのだけど、みんな若いのに底辺の仕事してる。
北九州は男性にとって貧富の差の縮図だ。
今日知り合ったチャキチャキの挨拶も心配りも行き届いた若者が
話しかけてくるが、OX卒で働く場所が現場しかないと嘆く。
自分に力を付ければ、何卒でも可能性は広がるのに
まったく理解を示さない。
あるものは母子で大学を止めて日雇い作業員をしている。
日払いが魅力みたいで、事務所に帰って来てさっさと領収書書いてる。
そこでも手数料取られるから残るは、こんなものか?ってくらいだけど!
私にはどうしようもない。
立場としては、私も同じ!
どこで食いつなげるかだ。
がんばろっと!
猫も待っているし!
落ち着ける日が来るのを心待ちにして!
店に客が入れば申し分ないんだが・・・・・・
地球日誌 2018 5-16
とうとうOXOを明後日で退社する事に・・・・・
約5年と2ヶ月続いた。そこで一体そこら辺のつかみを一度整理をしてみたい。

  2011  2012   2013  2014  2015  2016  2017  2018
 50  51  52  53  54  55  56  57
 会社  別の資料
参照
 イOX3月
入社
        イオン6月
退社
 自宅            1匹  6匹増  
 東丸山         8月31日引越し      (2年9ヶ月
 宅到         5月30日
イ到入居
     (約3ヶ月
 宅中2         それまで中央       
 店           11月1日
移転
   
 新店             11月
23日
 
  
 2018  2019  2020  2021 2022  2023   
   58 59  60 61  62   
     7月x白川へ    東丸山 
       さんとさん
11月にやめる
     新イッキ
イオンを6月辞め、佐川(仮)に3ヶ月
大谷官工に月末11月
12月中川さんの工場、


 ヒューマンブリッジ7日、
シロキー(5が月)
マンパワー
優希に入社
優希を年末退社
派遣で介護に
介護病院へ
介護の資格取る
コロナでX、同じ
職場に勤務3日
 10月28日
脳出血で倒れる
 1月退院
アート(7月)
起業祭
アート9月在宅へ
クリス5月亡くなる
アート小倉スタジオ
起業祭
5月から販売の
絵描き始まる
 アート小倉スタジオ

 
         中川さん亡くなる    

ざっとこんな感じだろうか!
あと2年で60歳!
だいじょうぶなのだろうか?
これからどうなっていくのか心配だが、店はさておき、年末の準備のため
これから現金つくりに励まないといけない。
過去は捨てた、今の人たちを大切に!
最終的には今いる人達だけでまかなうようしないと!
 
地球日誌 2018 3ー12
しばらく、このHP、PCを使わなくなっていたので
ソフトもPC本体も古くなっていて、こりゃヤバイな!
SNSに頼り過ぎたのかもね!
ここは探さないといけないので、多少過激なことも書ける!
何年も放置してきたので、また一から始めてみたいと思う。
去年2017年11月23日にオープンして以来ギリギリでやってきた。
再オープンは多少は緩やかなスタートを期待したが
昔と同じ年末年始のゼロ更新が続いた。
オープン記念がほとんど誰も来ないことが現実に起きてあせったな。
何を楽観視していたんだろうと自分が分からなくなった。
それからも、これからも何も動かない事に気がつき
オープンイベントはキャンセル!
なんに酔っていたんだろう、ただ呆然と年始を迎えた。
しかも極寒による電気代の増加と猫の去勢とトリプルパンチ!
貯金はみるみるなくなり、いつ三つ目の仕事を始めようか、悩んでいた。
そこを助けてくれたのは、音楽とは関係ないお客だったのだ。
この16年目は今までで最大のピンチだった。
今でもピンチは継続しているが
今ならただボケッとしている呆けた状態ではなく、攻撃的になれる。
これから良いことだらけに思える。
一度地に落ちたのだから、跳ね返ってくるよ!
冷静になって、うまくやってみせる。
すべてを切り捨て、新しく道を切り開く事をやってみよう。
冷静に、冷静に!
情報はここだけにして、FBなどは宣伝ツールとしてしか使わない方が
見にためだ!
2018年1月だよ!
去年からまたガッツリ様相を変えたこの町は、もう耐え難いほどの田舎祭りにご執心!
参加型が営業の本質になってしまった。
歌声喫茶が主流になってしまう、そんな時代になっている。
だから・・・・
音楽じゃ食っていけない!
結局新しい店舗に来ても、過去のまんま、
バンドしてた頃の前に戻ってしまった。
 
また2014年からSNSに切り替えたけど、何も解決しないまま、今にいたってしまった。
嘆くより驚きだ!
こんなに続いているなんて・・・・
だからこそブレナイ、揺れ動いてはいけない。
本当に大切なもので成果を求むのだ。
だって、結局は、地場のお店に対しても、地方エンターテーメントだって、イベントだって
お客には興味はなく、TV見てる方がよっぽど楽しいから。
店を繁盛させるは、意識だけでも東京に向いていないと。
それしかない。
2018.1.8
 
別枠でSTEVIEの世界というページができます。
さまざまな情報が交錯しているので、スティーヴィー関連の話題はそちらに移行します。
追ってお知らせします。
CLICK!


FACEBOOKは、意味がない!
3回目の営業許可更新!
ずいぶん、続けてきたもんだ。
静まりかえりたいんだろう。
結局!
何もかも自由にならなくなっていくから、
静まりかえりたいんだろう。
そう思う。
去年の今頃、コタツに入って生活し始めたら、
眠りこけて時間を1年失った。
今年から来年にかけては、そうはいかんぞ!
2014 11 14

FACE BOOKばかりじゃ話にならへん!
思いのままを綴るとしよう。
去年のいつだったか、コタツに入ってから、身動きできなくなり
何もしていない。
 
今このときもだ。
月数でいえば6ヶ月近くになろうか!
52才の年齢でいえば致命的かもしれない。
人のせいにするなら、できるが、そうじゃなく、自分に向き合ってみよう。
 
やる気が出ない。
 
では、何が原因なのか?
結論は決まっていて、まじめに生きていないからだ。
マジに生きていない。
なんか中途半端な世界で、中途半端に生きているから、
達成感や、失敗感や、様々な感情が出てこない。
ここから始めよう。
2014年5月5日ゴールデンウィーク2014年

不安な要素は弱気から!
人間、たまには弱気になるべきでしょうね!

新会社経営概論
もうすでに経営とは、ほど遠い娯楽トントン収支遊びをし始めて10年近くなる。
この間、真剣に普通の仕事をしていたら、かなりよい人生が作れたのかもしれない。
しかし、人の人生の醍醐味は、無駄なハチャメチャさにあるのだという持論も覆すわけにはいかない。
無駄でけっこう!結構毛だらけ猫灰だらけ!

とどのつまり、お金儲けを考える上で、上から目線で考えると、情に絆されないことだと思う。
状況にあわせた適切な判断と人から嫌われる勇気がないとダメだ。

それが、できないんだよね!それが!

この一点だけでも、私は遥かに経営者失格である。
今まで他所で働いてきた小銭の大半はお店につぎ込んできた。
その金額を貯めていたら、今頃仔猫が飼えたろうに!

なんやねん!もう飼ってんねん!ぷぷ!

こんな下らない冗談感性も、真の経営者には必要ない。

しか~~~~~し、君たちは重要なファクターを見逃している。
これだけ適当に暮らしているのに、借金が5万もない!
それも、経営とは関係ない物を買ったクレジット払いである。

会社経営のための借金と言うものは、経営に絶対必要な重要項目である。
利益生もうとする借金がなければ、先を見通すハングリー感覚が失われる。
生きた借金をしないと絶対ダメだと言い切れる。
人というものは怠け者!
追いたくられないと、自覚のないまま、ただただ普通に歩いてしまうのである。

ああ!今私は悩みがある。
二つの設備投資に悩んでいる。
ひとつは冷蔵庫の購入!もしくは簡易PAセット!

ああ!冷蔵庫がなければ、いずれお客の暴動は避けられない。
「生ぬるいビール売ってんじゃないぜ!このやろう!ここはベトナムかぁ!」
と、暴れられるの容認しなければならないのか!
イエイエ、これは十分冷えてますと、嘘か冗談か分からない言い訳をしないといけないのか!

(重要)ここで真の経営者は、そんな事態になるまえに冷蔵庫を買い換えているだろう。

しかし、今の私は、せっせとどっかのスーパーのお冷やし用氷を少しづつ貯蔵し!
それこそ、小さなクーラボックスでビールを冷やしてい有様....
「おまえ!その一人家族用規模のクーラボックスで真夏の店舗経営が成り立つとぉ思ってんのか!」
と、怒鳴られても致し方ない。
イエイエ、これで十分努力感は皆様に伝わります、小は大を兼ねるなんてね!と、
はっ倒されそうな、嘘とも冗談とも付かない言い訳をしないといけないのか!

それを言うなら、大は小を兼ねる、というねん!

と、真の経営者はこんな下らない合いの手を入れる感覚も必要ない。

先日、せっせと買い物袋に氷をつめていたら、サービス員に注意された。
「お客様、申し訳ございません、他のお客様もご利用になりますので、
 直接買い物袋に氷を入れるのはご遠慮願いませんか!」

とてもひどい言い方である。
慇懃無~礼!

まず彼女の問題点は、私はお客様ではなく、あなたと同じここで働いている底辺のパートなのである。
しかも時給は750円前後の私歴史史上、最低の時給賃金なのである。
まだ冷蔵庫に氷あるのに、その私をつかまえて「勝手に氷もって行くな!」と言うのである。
勝手ではない。ちゃんと糖質カットの発泡酒が2本入っているではないか!
そもそも、あんたには関係ないことだろう?
ああ!専用の小さめなビニール袋に入れろ?
だって!
そのビニール自体の種類は同じ、同じビニール、ぶ・く・ろ!なんだよ!
だから、意図は違う!
なのに、気にとめる私は、自分自身、弱いものかも知れない!


そうね!大量に持ち帰る非常識なお客対策?それは分かっている!

おっさん!そんなことしないで小袋にいれな!2個まで!おまえ!わかったかのか?

これが言葉がきれいでも、その意味である!


これは完璧な経費対策である。
でもこんな哀れな時給の私に、大量(少量です)の氷を持ち運ばれたって、
あああああああああああああ!見逃すべきだとそう思うのだ。
後のお客様ため、氷なければ、それはそれで仕方ないじゃん!
氷りつくって商売してんじゃないから~ね!

そんなどうでもいい問題を、経営とは違う視点で口うるさく大きな問題にするやつら!
どこでいるじゃないか、妙に正義感が強い人!
そいつが邪魔するんだなぁ~~~~~!こりゃこりゃ!

えっ?なんだって~~~オレが悪りぃ?
まじかぁ!




次の日、ひやひやしたね!
呼び出されて、「なんだね君かね!レジ袋を使って大量に氷を持ち出しているのは!」
とか、
会社の掲示板に、注意!氷大量窃盗者、身近にいたら通報お願いします。(総務課)
とか、私の写真張り出していないか!
いつもより、衛生帽子を深くかぶった私はどうみても変質者だね!ぷぷ!

みんなぁ!わかっていないな!大量ではないんだよ!
中ぐらい?英語で言えばMIDDLE?どうみても許容範囲だ!
何でそんなことで私を苦しめないといけない。
優しさとか曖昧さのバランスをよく考えたまえ!
ステレオタイプ対策じゃ喧嘩が収まらない~~だろう?
誰しもそれで、その問題で、失敗してきたじゃないか~~~~~~~。

だいたい、仰られた大義名分も不自然で謙虚さ、明瞭さに欠ける。

他のお客様に迷惑になるなんて、その迷惑の内容がわからない。

なにが迷惑なんだ?と焦点がみえない。

直接買い物袋にいれるな~、だって?
直接に入れるとはその買い物袋が汚れているから、ダメだと言うのか?
じゃーなぜ、どうやって、設置された小袋がそれよりきれいなのか、判断するのか!

だから、迷惑になることはありえない、存在しえないんだよ。

この事例の迷惑と言うのは、氷不足のことなんだ。
ならば、どっかのそれみたいに、すでにつめたものを配給すれば問題なし!

他とは違う特別サービスを表に出すため作られた自由な判断サービス?間違っている!
お客に自由にさせるから、誇大解釈が生まれ、悪利用が発生し、下らない議論が生まれる。
そこまで人件費かけられない、そんな経営的事情もあるだろうが、苦しむのはサービス提供側だ。

ん~もうこれでは無理かぁ!まじかぁ!
やはり、ぽつん!冷蔵庫買うべきか!

ああ!買い物袋につめた氷を自転車の前かごにつめ
融けだしたこぼれ落ちる冷たい粒が足に落ちてきて、つらかったよね!
そんな努力のこと、誰も知らない。      (しるかぁ!)
13、9、24
 
仰天!個人情報は記録されている。
今日、ひさしぶりに勤めている実名の出せない会社の健康診断が催される。
いくら何年前かのことといえ、記録が残っているのにびっくりした。
個人申告の診断書みたいなところに持病みたいなところに、通風と印字されているではないかいな!
 
な、なぜそれを!おまえが知っているんだ。
 
下記の図を見ていただきたい。
当時のここ5年以内のアルバイト転職記録だが、これに新しい記録を載せると!
2011年版で考えると 2年弱のインターバルだが記録には残っているんだろう。

2007

2008

2009

2010

2011

 

Unknown

4月頃弁当配達

ヨシカツ勤務

 

10月頃ヨシカツ

退職

地下イッキで

ほそぼそ営業

2.3月頃OXO

4月現在OXO

 
最新版
 
2004
43
2005
44
2006
45
07~10
46~49
2011
50
2012
51
2013
52
 2014
      07・8月頃から機関存続を訴える委員会を設立、活動2008年1月前後ASC設立
8月24時間映画祭
 11月頃OXO戸畑店退職、ノースナインステイツの代理店在籍、のんびり訪問セールス開始  4月頃から
スタッサービス10月まで
12月20日前後で医事研
 2月初旬で退職、4月前後でOXO東田店  










検査を受けて、すこしびっくりしたことがある。
検査員は当時は67Kで今は今は64Kと大幅に痩せている、と言うのである。
腹回りがぜんぜん違うと!
私から言わせると、72Kからのダイエットなので8K減なのである。
だから、驚くほどのシェイプアップなのだ。
このことを持続しないといけない。
目標は60K!あと4Kそうすれば腹回りは完全になくなるだろう。
9月13日13

最近、気持ちが変わった!IKKIとは私自身ではないか?そう思うようになった。
8月22日ここの場合、時代が長いから13年と付け加えよう。
成長とは、を課題を付記するには、それなりの戦略が要る。
が、しかし、これだけ自由な時間があるのも活用しようと言うのが、私の狙いだ。
文章を思い、描く、のを思い描く、その中に、魂を込めるのは、
その持続こそ難しい。 
人の心はそんなに大きくなく、事件と変化の中にすべてがあるのである。
 
ならば私の原点とはどこなのであろうか?
 
それは青春時代に始まっていた。
 
 
それを垣間見るのも、私の自分探しにはうってつけではないか? 
そう、思うのである。

2013年9

Paul YOUKENROU


誠のママから、また通風が出たんねぇ!と言われたの巻き!
 
分かっているいれば、まるで何もその後がないかのような病気みたいだが、
そうは問屋が卸さない。
FACE BOOK でも詳しく書いたが、今後の死に際まで影響をしそうなので、
ここいらは、無視できない、思案を重ねるべき重大問題にあいなった。
こりゃ、こりゃ!
 
 
酒はやめへん!
 
 
これが私からの地球防衛軍への解答だ!
 
信じられない方も多数いると思うが、酒を、かれこれ3週間以上口にしていない。 
すばらしい! 
 
 
しかし、一方では、面白みの欠如、自覚の異変、精神の不安定に安定化、など
あるまじき、期待に応えられない、自分を見出す。
 
 
人間とは、なんなんだろうか?
 
 
IKKI とは、いったい何だったんだろうか?
先日、週に一度のジャズセッションがイベントの組み込まれられ
あたしい人脈を出来上がりそうな雰囲気の中、かなり昔?
あるジャズビッグバンドに関係していた女性のホーンを演奏する美人がいて
当時のセッションにも顔を出していた。
就職のために県外に行って、今調べてみると4~5年前に出入りしてたんだ。
ひさしぶりに会ってみて記憶が飛んでいる部分もあったけど
演奏を聴いてびっくり!いい味が出ているのだ。
人間としての成長だけじゃなくて、なにか真の入った的な魅力が感じられた。
 
 
じゃ~~~!IKKI どうやねん!以前はどうだった? 
何も変わっていない。
いつまでも、お金に追われるだけの無成長のような感じがする。
会社であれば、利益計算ができない時点で終わりなんだろうけど
下手に固定経費がやすいので、長生きするのだ。
 
ひとつだけ、成長したことがある。
それは、ほとんどの人が妙なプライドがありそれに左右される生き方をするということだ。
その原理の中、都会の人や海外の人を完全に信用できなくなった。
褒められてあたりまえ、かっこいい感じにあこがれる気弱さも理解できた。
こうなると人生が面白くなくなるわけだが、ジョンレノンやJKのインターヴューの中の
深い意味合いの皮肉もよく合点が行くようになった。
 
しかし、それだけでは何もならない。 
成長しないと、店も、私も、通風で寝転んでいる場合ではないのだ。 
ふ~~~~~! 
人生、こんなもの!  
残された時間のなか、もう少しもがいてみるとするか!
2013 8 16
暇人であるが故、暇を駆使する。おりゃ~~~!
  
 何 も書くことがない。
 そん な人生想像したまえ。
 別に書かなくては、いけないと言うわけではないけどね!
 昔は、文章においても小粋さを自慢していたが
 今は、ウィットがないのである。 
 このウィット、意外に根拠のない自信から生まれるのだ。
 
 ああ!感性が年を取っていく。 
 
 実を言うと、人間、そんなに多くのことを生み出せないのである。
 
 だからこそ、アルバイトや人間関係にかかわる人間臭さを
 積極的に経験し挑んでいる訳だが、ねぇ!
  
 ネットなんかは上から目線で情報を積み上げているから
 みんな解説側にまわって、上から目さんに変わるよ。
 いやいや、そんな風に考えずに.......... 
 いられないよってんだ。
 感じることは前向きばかり?
 ああん!そんなことが起こりえないのだ。
 今の日本は、見て見ぬ振り大好きだ。
 ああ、よのなかばかなのよ!
  
 だいたい世の中狂っている。
 この町だけの傾向であってほしいが
 高齢者の理不尽な振る舞いに、頭痛めている。
 人生の先輩として、若きものを見守り、
 見識深さを身上にしなければならないだろう。
 目に余る非常識な対応に、心を痛めるのだ。
 
 先日、お昼の真昼間、アーケード街で、八百屋と魚屋が開いている 
 唯一の空間の前にいつも開いている床屋の看板に
 オヤジが、自分のあれを取り出して、その看板に振りまいている。
 完全に犯罪なのだが、運悪く、お昼時なので 
 食事終えたOLが現場を目撃していた。
 
 私と同じく、彼女らも一日に気分を台無しにしただろう。 
 
 朝からローソンの前で焼酎を飲酒するやつら、やめてくれ!
 高校生が見てみぬ振りしている。  
 
 仕事場でも、信じられないことがおきている。
 平気で順番を無視し押しのける。
 気が変わったのか、生ものをいたるところに放置する。
 陳列したものめちゃくちゃにする。
 体も心も卑屈なひねくれ心で行動する。
 そんな感じだから、誰も相手にしてくれないんだろう、と
 意地悪に言いたくなるも理解できるだろう。
 放置された食品はすべて破棄なんだ。
 大切に生産されたありとあらゆる食品は、何のその本来の役目を果たさず 
 廃棄される。
 世界中に飢えた子供がいるというのに!
 物を大切にしなさいと、子供の教えたことがないのだろう。 
 
 おれは老人にはならないぞ!    (なっているよ!)
  
 でもさ!いろいろあるんだろうね。
 
 家族のこと、将来を読むことができなかっただけかもしれない。
 
 みんな賢いとは限らない。
  
 ギャンブルや放蕩の末の.転落かもしれない。
 
 だからといっても、放置して命を落とすのを見て見ぬ振りするのは
 同罪か?
 
 考えまい。
 
 それがいいのかも! (おいおい、結果はそれかよ!)
  2013 6.3
今は大手スーパーのパートタイマーですね! 

人間とは不思議な物で、食っていけないとなると、働くものですね!
最近ネットもよく更新しています。
スティーヴィーのことや自分まわりのこと、変化しています。
興味がある方はFACEBOOKで配信しています。
REAL MEでは、なかなか配信できなかった。
 
今年の初めはここの家から出るはずだった。
のに、夏越えを計画している、自分を見つけた。
スティーヴィーも一緒だから、大変だ。
表立った欲求不満の夢がかなわないとなると、
人は夢想しなくなるものですな。
家事や片付け、猫、のことを考えている。
2013 5月14日
われの夢はいずこへ!
 
大前さんの新しい意見では、世界恐慌の道は延期された。
 
 
つまり、ヨーロッパも、アメリカも、中国も、そして日本も
今だけ良ければ将来はどうでもいいと決めてしまった。
 
 
つまり穏やかで幸せな日々がしばらくは続くのである。
子供や孫の時代がどうなろうとも、今さえよければそれで良い!
これはもう変わらない。
もうすで終わりが来て、そして過ぎてしまった。
 
 
これが現実なのだから、受け入れよう!
 
 
私とて、自由への道にまたもやソフトランディングしてしまった。
 
 
今年に入ってもうすぐ一ヶ月が過ぎようとしている。
これと言う、決定的な道筋ができないままこの時期を迎える。
 
 
今年はどうするのか!
 
 
これからの、今年の一年の目標を考えたい。
 
 
あわてていた国債暴落もなんか、なくなった感があるのなら 
そうハードに将来を考える必要はないのでないのか! 
脱北九州も色あせてくるのだ。  
はんば自給自足生活も見えなくなるのだ。
ただの、旅行でいいんじゃないか?
 
 
 
一時期家族はなんだろう?と考えていた。
いや、家族的とは何んだろうか?
家族を思いやる。
家族の将来を深く考える。
 
 
この半年間社会に出て感じたことがあった。
会社や町のTOPに立つ人さえ、のほほんと自分本位で生きているのだ。
楽しいことに釘付け。
生きることの品質なんて考えないで、楽しいだけ。
命はいつ終わるか分からないのだから。
できる範囲の行動で織り成される
ちっぽけな結果。
 
 
それでみんな満足なんだ。
 
 
2013.1.30

結末は、結局クビになりました。

前回の記事から、約20日間、様々な事件がありましたが
めでたくクビになりました。


初めての経験だな!クビなんて!


正式には様子見で2月20日付けで来なくていいといわれたので
それくらいクールに、何の配慮もなく言われるので
すぐ辞めることを決意!
電話先で非円満退職でおさらばに!


考え方を賢くすればそこまで待って退職準備金をもらう手もあったけど
派遣の癖に、近いから交通費はいらんね!とケチぶり発揮するので
そんなお金出すことはなかろう、推測し精神的に楽な方を選択。
次なる一手に没頭するべきだと、こちらもクールに考えるにいたった。


今年の新年会に呼ばれていったけど、
挨拶もなければ、紹介もないので、ほんま中途半端な存在に
あったわけだ。
こうなるべきだったのか、こうなることが当たり前だったのか
同僚の学生に正しいブッチギリの方法を教えるにいたった。


PC作業や実務のセンスがないとは思わないのだけど
運悪くちょっとしたミスが、次の大きなミスと重なり合い
それが新人のあたしがやらかしたとなり、
訳がわからないから、こっちもそうかもしれない、と感じたから
反発しなかったのがいけなかった。


大きなミスは、たぶん私のミスじゃなくて、もっと他のところで起きたと
推測される。
作業手順から絶対起こりえないミスだから、TOPもそこら辺を考えれば
日付けまで出して、解雇を通達すこともなかっただろうに
ミーテイングかなんかで、ミスの原因の追究をして、そうならないための
防御作業の手順を開発し、2度と起きない、またそれが証明できるノウハウを
実践すればいいことなんだけど!


いまだ見て覚えろの時給800円のアルバイトなんかないよね!


反省文も書かされた。
反省文は今後の資料にするためのもので、個人的な反省を促す物ではありません、
書く側の主観でかまわない、とまで書いているので
「まだ入社したばかりだし、よく理解していなく、また作業の確認事項が多すぎて、その ミスの経緯がハッきり分からず、また記憶もハッキリしていません。しかし如何なる状 況でもそのようのミスが、こちらで再発しないよう、また防御できるよう.......」


と、書いたのだが、それが逆鱗に触れ、
どういうミスをやったのか、具体的に書かれていない、とか
何をどう間違ったのか、が書かれていない、とか
やかましく怒られ、再提出!


ほんとうにその推測でミスの経緯を書くのなら
「あれほど確認作業を繰り返す用に言われたのに、なぜか突然、また関係のない
 場所から、全く関係のない書類だし、全く違う書類を確認して、提出しました。 」
と、相成るわけだが
困ったけど、これは適当に話をつくりしか良好な流れに変わらないな、と
反省したような文とありえないミスの制作をし、提出した。


まーそれで終わりきや!と思っていたのだが
次の週、スモールミスをしたのがきっかけで、
いわゆるTOPから目を付けられ、嫌われ(これが最大の問題!)
あらゆるミスが私がやったような雰囲気になり
わがグループにもその影響が出始め!
これは、最高に気をつけないと最高に気をつけていたんですがね!
誰がしたのか関係なくゆきだるま式なのに、改善されるどころか悪化して
もっとも関係に悪い最悪の事態になる予測がつく!
とふりかえれば、正月休みも含む入社一ヶ月しか経っていなかった。


ミスそのものよりそのTOPとの人間関係が悪化したことが最大の問題で
これはそのまま放置しても、その関係が良くなることはないのが
男女の職場の問題点なのだ!
男性なら、もう一度チャンスをとなるかもしれないが!


と、また自由になりました。
ちゃんちゃん!


せっかくかなり勉強したのだけど、無駄になりました。


2013.1.26

我輩は Dream seldom come! と歌いたい!

最近はスティーヴィー話でここのスペースを使っていたから
意外にこのスペースの意味の投稿がなされていなかった。
久々に今の環境を語りたい!


我輩というものは、また新たなるアルバイトを見つけたのだ!


健康によく、時間が短く、場所が近い!


3徳の仕事内容なのだが、気が乗る気がしない。


原因は、前回と同じ女性だらけの世界なのだ。
まーなんて同じ失敗を!


女性が嫌いと言うわけではないが、集団化された、組織?コミューン?
なんとも言い難い一定ルールの中で動く保守体は
自由を敬愛する我輩には、違和感、嫌悪感が増幅される。
それには、必ず数名のオツボネ様とそのフォロワーが存在して、
我らがおじさんは言動、行動、清潔性をチェックされ、男性としての特権を行使には
全力をかけて潰しに来るのだ。
つまり、おっさんは黙って立っとけ!言うまで口出すな!手出すな!
言われるがまま、そうしていると、使い物にならんと、あいなるのである。


と言うことは、黙って蚊帳の外を耐え忍ぶしかない。


それは、ぼんやり宙に浮くのは、簡単のだけども、医療の仕事は難しい。
何のためか、様々なチェック機能がついていて、それの優先順位と
その内容が不明瞭で、何がしたいのかさっぱり分からない。
他にメインの仕事がある自分に勤まるのか?心配なところだ!


それにしても、医療系は時給で働くには責任は重たい!


もういくつ寝ると、OXOXなのか!分からない!
スティーヴィーごめんね!


なんにしろ期待薄なのは間違いない!
早めの決着で、記憶に残らないのがベストだろう!


前職で、同時期に3子持ち若手の派遣社員が言っていた。
いつも書類や荷物を残さず持ち帰るので、聞いてみた。


「いつでも、トンズラできるようにですよ!」


なるほど、みんな苦労しているわけなのだ!



夏までは続けたいな!


2013.1.6


2012年の終わりを思いて!
 10年間過ぎたIKKIと言う店は、果たして如何なる価値を生み出してきたのだ ろうか?それは云わずと知れたことではないだろうか?多くのパッションや非 生産的な文化活動から生れ落ちた不安や感動はただ者ではない。


 振り返っても仕方ないんだけど、振り返ってみると、クロッチの結婚式からエイジ結婚式と、喜ばしい時の節目をみんなで共有しあった事、私事ではあるがイオンより少しお金が欲しくて派遣社員に間違って入ってしまったこと、6ヶ月間ではあるが激職について自分自身がどういう人間か?と言うことがハッキリ分かったこと!現在の社会を知れば知るほど大切な何かを失っていく、それに気が付いた時にたじろいだ自分がどのような立場にいるか、それは非常に身震いするほど恐ろしいものだったこと!


 いまさら何を云わんかや!の世界だけど、本当にそう感じたのだ!リストラを行ったシャープやパナソニック、NECの社員たちは、その会社だけしか通用しない行動規範や仕事の流れの管理、とその力、それが能力だと安心しきった良社員が、野良猫のように放り出されれば、そんな能力何の価値もないということに、退職後気付く哀れさ!さすがにもう僕にはそんな経験もそのチャンスも絶対おこりえないけど、それでも、少しぼけっーと構えていたら足引っ掛けられる羽目になる。つまり自給1000円前後で夜勤が半分占める月120時間勤務でそのプロフェッショナルな立場を維持しろなんて、誰が考え出したか知れない、愚会社が喜ぶ何の根拠もない社内雰囲気は、二度と、二度と味わいたくない、それが私の本音だ!絶対無理です。


 あらためて気が付いた。こんな状況下で、バーなどの水商売を利用して、何らかの雰囲気だけを楽しむ粋な生き方をする人がいるはずがないのである。それが現実化していたのは、過去で今や幻想SFXの世界なのだ。では私は一体何を求めて生きて行くのだろうか?50を過ぎて転職を天職としている詩人のような感性を持つ私に、温かい社会が待ってはいない。底辺。底辺の中の底辺。最近採用になった仕事の時も、既存のアル社員は私のことをたぶん年齢から判断して毛嫌いしていた気配がある。責任者が。私に対して誰もが教育などしないと拒否したことで、怒っていたからである。それは働いてもその雰囲気は維持されている。仕事中私は常に地上から100M浮いているからである。それはそれでいい。そっちの方がこちらには都合がいい!私たちは、これからも、いや永遠に接点が生まれることが不可能な別離された世界の人たちなのだから。
できるだけひっそりと生きていこう。これが私の社会会社での立場である。へたに家族構成でも聞かれてマーキングされても困るのである。


 この不安定な、どっちつかずの環境に勝利の神様は微笑んでくれる。2年待っていたのだ。今からの人生、自分が何であるかを試す時である。幸いよき仲間もいっぱいいて心強くそれを実行できるはずなのだ。世の中捨てたもんじゃない、そう本当に思うのだ。


 今年の夏に仲間入りしたスティーヴィーと言う仔猫、彼が教えてくれることは、自分自身を良く考えると言うことである。時間を無駄にしない。彼がいつも私に言っている。
「飲んでないで早く帰ってきて話しておくれよ!
 おまえは楽しいかもしれないけど、オレはこの小さい部屋しか世界がないのだから」
僕らは互いに小さいは部屋で永遠を夢見る。おまえも小さな部屋しかないかもしれないが、オレも小さな孤独な世界で生きている。サイズの問題じゃない、ここ、心の問題だ。
もし、オレ達が大きな農場を持ったとしても、それの何倍かの空想を作り出す事を始めよう、スティーヴィー。


 作り出すことは非常に力がいる。心に力がないと、どんなに美しい背景も色あせ灰色に変わる。最近一眼レフを買った。これが私に教えてくれるのである。
オートばかりでその場のタイミングで撮っていた私だが、写真と言う物は心を沈まして撮らないと感情移入ができない、つまり作曲、作詞と同じなのだ。歌詞に感情移入さえできれば、それは優れた作品となる。その感覚が活用され物つくりに生きていく来年になると私は確信している。



マイケルきたる!


14日金曜日から17日の月曜日までマイケル・エディーさんが遊びに来た。
ドイツから住居を移し、中国で2~3年アート関連のリサーチ物をするみたいで
奥さんの出産にあわせ北海道に帰郷した後中国に戻る際に北九州に寄った。
マイケルといえば、JHON・DANNES・CONFUSIONのあのヴォーカルといった方が
ピンと来るかもしれない。
7年ぶり?近い存在だったので、それくらい時間がたっているとは思えない感じがした。
びっちし4日間酒と温泉三昧で過ごした。
私もパートタイマーが決まったので、その前に羽目を外すのもありと無理もした。


初日は大酒をくらい翌日雨の中を田川の赤村、源ジイの森温泉で楽しむことになった。
最近、英語を使わないため、ぜんぜん喋れなかったけど、それこそ勘違いを繰り返し
理解を深める方法で楽しむことだけを専念した。


ドイツのことやARTのことを喋り、震災や原発、選挙まで及ぶ世間話は普通、私も日本人だが日本人とはできない。


平和がKEYなんだ。


源ジイの森には、大きな温かい休憩場所があってそこでゆっくり休むことができる。





外は雨!





寝たねぇ!


寒かったけど!


ガキがドアを開けたら閉めないんで、何度もドアを閉めに立ち上がった。
田舎でも、都会でも同じ問題を持っている。


温泉に約2年以上入っていないので、温泉の良さがハッキリ分かった。
お尻から腰あたりが冷えているんだね。
40度前後のお湯が腰を温めるとき、グーッと来るのだ!
あとは出たり入ったりしていれば、骨まで温まる寸法だ!
その後家に帰って、酒盛りとお決まりコースをたどる。


翌日は、久しぶりの別府行きで
早めに出たんだけど、早くつきそうだから
宇佐神宮に寄り道!






















意外に、大きな境内が心地よく、朝の凛とした冷たい空気が身を引き締める。
歴史があるだけに数々の灯篭(?)や石ものがかっこよく、コケやその周りに生息する寄生植物がいい感じだった。








その後豊後高田のレトロ昭和の町再現に行ったが良くなかった。

続く!
2012.19


第2回-3種混合予防接種、完了!


小箱の中のスティーヴィー
この感覚は表現しようとすると、ある種、吐き気のような気分悪さに襲われる。
幼少時期から悩まされていた口内炎や鼻炎によるのどの違和感とは違う、もっと生理的なもの、当たり前の現象?そうしなければ収まらない過ぎ去らない過程?
何かが変化している感じだろうか、そう、昔、のどの奥に詰まった、髪、髪の毛のような異物感覚が吐き気を誘う、これが正確な表現だろうか。
その感覚は、もうすで忘却の彼方だが、最近また帰ってきたというべきかも知れない。
ただ気持ちが悪いんだ。
この話を出すと、ただ気持ちが悪くなるだけなんだ。
その時、突然私が赤子として生まれる前に居た空間を考えてみた。
それは記憶にもないんだろうけど、なぜかフト考えてしまう自分は異常なだろうか?
それは答えなど出せない過去の異次元の世界なんだろうけど、気になり始めたのは、その吐き気が始まった時と同じと考えていいだろう。


先月、従業員に重たい気持ちを維持させることだけに躍起になっている会社を辞めた。
その会社は7時間毎交代のオペレーションが主体の会社という歌い文句が看板になっていて、仕事の内容までは表に出さない、煙に巻かれそうな雰囲気を持っていた。
その看板を聞けば大体の人は憶測ができるが、その実態は理解しがたい、失礼だが存在理由が見出せない中間歯車的だと感じていた。しかし私が実体験をし人間としての説明、それは何なのか?と問われればこういうしかない。
もう使われることない引込み線の線路。
繁栄のために建設され、そのため目もくらみ野外作業の重圧も飛んでしまい、その後の時代の変化に置き去りにされた朽ちていくだけのもの。
その会社を辞めた。
理由は簡単だった。
お金が必要だった。
入社当時の私はお金を貯めることに執着していて、継続できるかを見落としていた。
だから、それを、私は、継続できなかった。
単なるおもしろ半分の腰掛だけのつもりでいたから、その意味のない個人的見解の責任感を押し付けられることが違和感を感じたのが最初だった。
ただの新人が思うことではない。
経営者でもないのだから。
いや、それは上から目線の嫌悪に違いない。
自分が離職毎に得てきた価値のない不満や理不尽さで作り出された知識や経験が猛反発し始めて、最初の志を忘れさせた。
お金が必要なのに。
会社は繁栄を経験し自然淘汰の道をゆっくり下っている。


あるお昼の休憩に思い切って外に出てみた。
お昼であっても社外に出ることを好ましくないという雰囲気の中外に出た私。
海から吹き上げる強い生暖かい風は目には見えない。
山の中腹からだんだんと点在する小池を利用した公園があるだけだった。
そこで見えるのは、鳥の声と幼児の叫び声、と青い空。
その公園の隣にはかなり大きな市民霊園があり、その相反するカラーが邪魔し合わずお互いを引き立たせて調和している。
私は、そのせき止め側の水辺に集まる亀や鯉、カラス、水鳥を眺めていた。
もちろんそれは良く飼いならされた生き物だから、私から何かを得ようとしていた。
鴨が生活しているわけだから、野生の獣はいない。
つまり、そこもまた繁栄を経験した後作り出された人工空間なのだから、心落ち着く理由がそこにある。
この寛ぎが退職理由だ。


なぜ私はこの空間を感じた時、会社を辞める気になっていたのだろう。
それは残念なことであり、自由をえる最悪の道だ。
人間として、男として生きるためには、生活の糧はいる。
しかしそのことを考えれば考えるほど、吐き気に見舞われるのである。

2012.11.28
若い時代に戻りたくないぞ!絶対!


今のままでけっこう!
仕事を引けて、ずいぶん時間がたったけど
相変わらずのルーズな生活は変わらない。
言い訳は、スティーヴィーであったり、PCであったり、音楽であったり。
仕事はしてはいけない、このわが意見は今でも変わっていない。
交流こそ、人生の糧になるのだ。
体験や会話がそのすべてなのだ!


人というのは、寂しがり屋が基礎になるんだろうねぇ!
人間猫は寂しがりや!


さみしい!
さみしい!


スティーヴィーが、一人の時間が長いと、ぎゃーぎゃーさわぐ!
みゃーみゃーと言っては、おくれでないか!
人と共の寝、起き、一日の3分の1を過ごす毎日。
あなたが人生の初めに出会った生き物は、猫ではなく人間だった。
あなたは、あなたの数十倍におよぶ大きな体の人間に、
恐れることはしないねぇ。
あなたのすべては、私たちであり、私の中にあなたがいる。
ついつい気になるので.....
今日の朝、スティ-ヴィーの本物の母親の住処を見に行った。
彼女はいない。
着古しのベットを作ってあげたのだ。


でも、極寒の夜を過ごすには、あまりにも非力な!
だが、親子を飼うわけには行かない。


フト見上げた我が家の窓に、スティーヴィーが立ちこちらを見ている。


鮮明に青空が冷たい日差しをあびせかけている。


スティ-ヴィーには私が見えているのだろうか?
手を振る私に、ただ首を傾げるだけだった。


親子が極寒の外と、温かい部屋と相当なる違いの中で生きている。
たぶん前回の出産で生き残った仔猫は、スティーヴィーだけだろう。
もちろんそれは当たり前で、野生と、そうではない物の違いは
雲泥の差があり、後者は人間として生きていくに、等しい。
完全なる栄養素の今からダイエット食事に高栄養のミルク、
自然の摂理を無視した、蚤が死滅する塗り薬フロントライン、
あらゆるウィルスから守る終わりのない予防接種と診療、
晩年の予測される成猫病対策のあらゆる方法論と予防診療
と、多少狭いが自由になる温かくもなり涼しくもなる部屋と
愛情たっぷりの酒臭い人間たち!とその友達や家族、
この世界がすべてで、それだけ長寿命になるのだ。
それはいいことなんだ!
だって人間猫なんだから。
もう帰れない、帰るとしたら自殺に等しい。


ああ!2階の窓から望む外の世界は、あまりにも厳しい。


だから早く、大きくなれ!
なんにでも耐えうる体になり、たとえ地球上が滅びても
私の伝授する狩の方法(矢や罠で)で、鶏や牛、豚、鹿を仕留め
夜の宴では、酒をあおり、鍋を囲み歌い踊れ!  (何の話?)

わが町の狸シャムネコが、かなりの年配者とじゃれ合っていた。
なんで?不思議だ、ジャレるというのは遊びじゃないんだよ!
あなたに助けてくれといっているんだ、だから飼ってあげればいいのに!
そう、もう一匹の小柄のシャムは、どこに行ったんだろうか?
トム&ジェリーにも出た天国の行きの列車へ行ったのかも!

2012.11.16
イヤな取り合わせの、YOUTUBE、閲覧順番


先日話した起業祭で演出した九州発のアイドルグループが
いまだに頭に残ったまま11月5日を迎えた。


何が不満なのだろうか?私は!


実を言うと、この3日間の祭りの間に、たまたまヤフーの記事で
ゴールデンボンバーを見つけた。
ダウンロード数ではAKB48を抜き、カラオケではダントツ一番だと!
なんでもチェックが私の方針なので、閲覧してみると!
コメコメクラブのバンド版で、パフォーマンスのみのエアーバンドらしいが
タイトルが、「女々しくて」「いつでもいいひと」とか、今日本の男が
かかえてる草食性、女性化を嫌味なく歌っていることが好感が持てた。


若さ一杯に、アホ踊りをするところもなんか、今の時代、あっていい!
これもありなんだ!何も考えなくて楽しもう!
けっこう、はまった!
だが....


事件は今日の朝起きた。


今日も能天気にPC仕事始めに、ボンバーでもみようかと検索したら
「女々しくて」のKーPOPヴァージョンを見つけた。
少女時代を完全に皮肉った、馬鹿にした内容で、韓国産のものを
汚く、飲んだり食べたりして、完全におちょくる感じ!


今時、こんなこと、やらんほうがいいのにな!と思った、けど
なにせ、日本!以前中国で学生の悪ふざけが暴動に繋がった経験もあり
そして今時、時代遅れのナショナリズムが顔を再び顔を出しているからね!
命かけて本気で喧嘩売るんなら、ともかくも!
このへんの頭の悪さは世界一だね!日本!
ネットだけで強気?のかた多いねぇ!
まあ、いいや!


そこで、少女時代はどうなっているのか?と気になった。
そこで検索してみると、
NEWYORK、マディソンスクェアーガーデン公演のVTRがUPされていた!
流暢に英語で会話し、お客にレスポンスとってる様は貫禄がある。
そういえば、フランス公演も前にやっていて、
1970年に以来、フランスでCD販売になるらしい。
フランスでだよ!
かっこつけるくらいなら、ヨーロッパで売ってこいよ!ボンバー!
                       (急に反ボンバー派に)


がっくりきた!
一葉が浮雲が由布院のアルテジオで演奏した、事で、
すげー!と思っていたけど、
彼らがNEWYORK マディソンスクエアーの公演とは行かない!


圧倒的に世界が変わっているのに、内面のひ弱さに動きを阻まれ
田舎化し、軟弱、更にはアホ化している日本は、どうなるのか!


どうしようもないのである。


都ではボンバー一色なのだから、お里が知れているのである。


しかし、勝ち目はある。


少女時代も、豊かになり、有名になり、それでストレスをため!
太りはじめたメンバーもちらほらと!


まージェシカさえ太らなければいい!ソヨンも!
でもアメリカ暮らしが肥満に影響するからね!


.....えっ?きもい?おれが?

2012.11.6
田舎くさいのはイヤだよ~~~~!

毎年規模が小さくなり、何がしたいんだか?風な起業祭!
悪くもなく、良くもなく!
とりあえず、行ってみるか!
そんな感じが蔓延しているのだが、いかがなものか!


初日、けっこう早く繰り出した私は
サイドステージで、奇妙なものを見た!
5人編成の老若男女が、不完全なままでテケテケをやっていた。
異常にバランスの悪い状態で、セミの音のようなKBDが
がんがんなっている。若い娘さんだがたぶんメンバーの娘だろう。


お嬢さん!シンセがジージー泣いているよ!


そこでおじちゃんギターとその子がコード間違えるので
聞いてられない!


お嬢さん!シンセがミンワミンワ泣いているよ!


やべ~!朝からこれではまずいだろう?
そこでメインストリートステージに移動!
お目当ては、九州発なんとか系アイドルグループだ!
ステージ到着すると....出てきたのは....
な、な、なんと5人の、年の頃で言えば20代半ばのぽっちゃり系の
女性たちだった。


以前、起業祭写真では30人入るだろうか、この人たちを見たいといったら、
ロリコンだの、スケベじじいだの、散々ののしられた経緯ある。


これは詐欺である。
写真では30名はいるのである。
5人はないだろう。
シャープさのないダンスと声が聞こえないコーラスばかりの
ユーロビート歌謡曲が漠然と続く....
ののしられ損だな!
低めのぽっちゃり4人とのっぽのガリガリの組み合わせが
非常に田舎くさかった。
金も出てるんだろうし、一応、エンターテーメントで売ってんだから
ある程度のバランスを提供していただけないと
見るほうも困るだろう?


しかし、年配者の方は孫を見るような温かい目で見ていた。


これでいいんだ!


しかし彼女たちにもファンがいて、一緒に踊ったりふり合わせたり、
これが楽しかった。


前のバンドよりはいいよな!


次の日
11月3日に、IKKI合同起業祭LIVEを行った。


そしてその翌日、3日目!
冷静な気持ちで、ここで起業祭とは?これを正視してみたかった。
だがしかしおおお!家を出るやいなや!
聞こえてくるあの音楽は!そうそれは!
少女時代のGEEではないかいな!       (聞いただけでわかる?)


やべ~!まさか!


名誉のためにこのような写真を載せていただく!


また5人のダンサーだったが、けっこういっていたので、がきとはちゃうゼ!
悪くはなかったけど、なんかなんで?少女時代!が気にかかったのと
更には、けっこう寒いのにあらわな姿の女性たちが、待ち受けているので
ここにいてはなんて言われるか分からないので、さっさとパス!


そう、本来の目的のために、動き出した。
何も私が自分ひとりで正義感ぶっているわけでもないが
これはやっておかないと!

まるで変質者!

3日目なのに献花が残っていた!


考えてみれば、、祭りそのものは慰霊祭なのだから
女性中心(男は踊らない)のダンス大会は不謹慎であるかもしれない。
3日目は最近続いている手っ取り早く子供を軸にしたダンス大会が
ほぼ、支配していて、それでも地元の年配者はうれしそうだ!
亡くなられた方も男性ばかりだろうしね!
そう、それでいいんだ!


そう考えてみると男性が中心になっているイベントは数少ない。
もっと男性ががんばっていないとダメな気がする!


最後に、博多発信のアイドルグループが、普通の形で
ステージで踊りをを繰り広げ、客席まで下りてきて握手していた。
そう、当然、人数は多かった。(写真とは明らかに違うが)



人数の事ばかり言っては良くないかもしれないが!


なんと、私は結局この空間に同化していた。
ただ、私は一眼レフを持ってきていないことが、救いだ!
これを撮るために買ったわけではないのだから!
しかしデジカメは持ってきているが!


こういっちゃおしまいなんだろうけど、
祭りがこうなってはいけないんじゃないか、そう思う。
種類をたどると、音楽か、ダンスか、曲芸系に分かれるのだから。
なら、ドラム有のバンドが一番いいのではないか!


そうです、私たちのイベントが一番、よかったのでは?


けっこう、うるさかったけど、おばあちゃん手を叩いてくれたよね!


よしとしよう!

2012 11. 5

いつの間にか、お外はさむーなりました。


むかしから、おもろい文章が好きで、アンテナ張っていたんだけど
最近その感覚がなくなっている。
訳分からないナンセンスを得意としてきただけに
落ち目の漫才師のように、あわてるありさまなのである。


仕事を辞めて以来、何かと忙しさの中で、前より自分を見る暇がなくて
うれしいやら、悲しいやら。


主な話題も猫の話ばかりで予定調和だ。


そもそも、私は何のために生きている?


そう、自分ためだ!
何でもできるのだ、自由なのだから!
なのに、人間猫にかまっている。
人間猫がかまっている?


時は、2012年!スタートするには10年前より良い!
昔なつかしサーフィーンネットをやってて
昔なつかし、でもない由布院あたりの美術館ブログ巡りをしてて
全く更新もされていない、空虚な感じの発信能力に残念感が募り
ほとんど、あきらめかけていたその時、ドルドーニュ美術館のそれに
あたった。
ドルドーニュ通信?
いきなり、2006年6月スタートだから
ばかじゃないの!なんて、くらいに、心にも残らなかったのだけど
いいや、ためしにと、ページをめくってみた!

5ページ!

めっくっただろうか?


こういうことが書かれていた。



無断掲載 すいません!
シラサギ
 
 黒雲がたち込め、足元で雨がえるが鳴きだした。また夕立が来そうだ。
 夏のはじめの集中豪雨以来、わが家の横を流れる瀬音に耳をそばだてるようになった。いつもは上流の静かな川が、あの日は怒涛となって荒れ狂い、水かさはもう少しで堤防を越えそうな気配だった。「この川は50年間決壊したことがない」という近くに住む年配者の言葉を心もとなく感じはじめ、「もしかしたら」と胸は早鐘を打ち出した。
 とその時、雨音がぴたりとやみ、みるみるうちに川の水位が下がっていった。天の采配というべきか、由布院盆地を覆った厚い雲の容量は、ギリギリのところで被害を最小限にとどめてくれた。とはいえ、金鱗湖や数軒の宿には泥水があふれた。幸い人災には及ばなかったことが何よりではあった。
 3・11以降の自然災害と原発事故、日本各地の豪雨災害、中小企業の倒産など、社会の動きはこの先も混沌とした不安感を増長させていくかにみえる。
 旅人たちが言う。「あなたは幸せですね。毎日、川の音や風の音を聞きながら、絵に囲まれて暮らせるなんて。まるで別世界!」
 こんなささやかな情景を、別世界だと言う人々、よほど心が疲れているのだろうか。
 シラサギが1羽、「グワーッ」と悲鳴のようなだみ声をあげながら、眼前の空を横切っていく。

(終わり)


まえから、田舎暮らしや自給自足なんて、興味ある風に書いてきたから
私が自然派で、心穏やかな環境が好きなんだろう、と思うかもしれないが
その真逆であり、正反対である。
私こそ公害を愛し、雑音と騒音の中で安堵するものはいない。
そこには必ず、人間の心の変化があり、それが色になって現れるから
それに安堵し、心動かされるのだ。


夜、7時にもなろうとすれば、街頭は消え、深夜の雰囲気になる。
これが最悪な環境であり、川の音や風の音など聞いていては
何も生まれてこない、文化不毛な場所なのだ。
夜は人間が遅くまで酒を飲み、飲んだくれてあたりまえ!
そんな悲しい時代に生きていないことも感じなければ
ただ雑草のように枯れるまで伸びるだけジャン!


由布院はみんなのイメージで美化されているが
まるっきり、どうしようもないくらい田舎の山奥なんだ!
その一角に金目当ての魔女小屋立てて人を騙しているだけなんだ。
由布院を楽しむ事が、何の根拠もない購買活動に繋がっているだけ!
それなら、東京や海外に行ったほうがよっぽど楽しい。
だから、そんな中に何時間、私は我慢ができようか?
だから、ただ私はその魔女小屋の中にいたいのだ。
その魔女小屋が気になるのだ。


愚かなことに.....
田舎の短なる雰囲気や、感動も技術も涙も含まれてない絵画や作品に
至福の別世界を感じるようでは、最終的にボケの別世界に行くだろう。


田舎にあってセンスは最先端を目指し、朝方まで飲み散らかす文化
どんなに真っ暗な山の奥でも、ドアを開けば魔女小屋が開き
大きな音がなり、多くの人がざわめいている。
へヴィーなイベントが行われ、それに意味がない。
これが私の理想的な田舎感であり
もとめられる真実の姿なのだ!

2012/10/30
アッという間に昔の自分

仕事を辞めて、はや11日目!
今日もスティービーと共に寝起きするスタイルで早朝から昼間を過ごした。
スティーヴィーは必ず私の目の前で寝るので
私が大きく息をすれば、ゴロゴロいわせる。
こんなんで、良いのか?
そう思わざる終えないを得ない。


昨日、修理に出していたJBLのスピーカーが返ってきた。
購入して一ヶ月以上経っているだろうか!


鳴らずのスピーカー?


このひと悶着の間に気が付いたんだが
本当に、これが必要だったんだろうか?
そんな根本的に問題に頭を痛める。
今日もこれを一人で持ち上げるわけだが
心の風が時折吹くのだ。


なにもかも、自然にとけこんで行けばいいけどね!
美しいものを作り上げれればいいけどね!
音もね!


最近、接近するすべてのもの波長を気にする。
波長が合ったり、合わなかったり、
昔、こんな事があった。
イオンで買ったスミノフが割れそうだから、そんな予感がするから
慎重に店まで持った帰った。ビニール手提げ袋も
確認しながら、落とさないようにしていたにもかかわらず
お店のカウンターから転げて割れてしまった。


やっぱしねぇ!


そういう私は電話で注文してしまった。
始めっからそうしていればいいのだけど
なぜか違う行動を取るのだ。


深夜に働いていた頃、閉ざされたみんなとの関係は
徐々に緩和されて、自然に戻ってきたよ!
ただ確かな事は、人それぞれ時間がたち、未来へ進んでいるという事!
何時かは形を変えていくしかない。
これからは、その順序を良く見極めながら
進んでいくしかないだろう。

2012.10.22
青い空とスティーヴィー!
倍以上も大きくなったスティービーは、形だけは猫として生きている。
なかなかニャーと音声で喋らないのだ!
こちらが気を使ってニャーといえば、ニャーと返事してくれればいいのだけど、
どうも猫語を使う気がないらしい。


ペット言う者は、心よりどころになるというが、なるにはなる。
しかし、心のよりどころなんて勝手に人間が考えた傲慢で
彼らにしてみれば、こちらが猫生のすべてだから
それを見て健気さを感じているだけなんだ!
それにしても、手間がかかる、といえば、かかるものだ。
それを人間として考えればごく当たり前のだが
どうも、具合が違うようだ。

スティーヴィーを見ていて、どうしても猫に見えない。
それはなぜだろうか?
それに気が付いたのはペットショップで見る子猫ちゃんである。
いかにも仔猫していて、かわいいのはかわいいが
ただ、その実、人間的ではない。
当たり前なんだけど、人間的要素がない。
これが決定的にスティーヴィーと違う。


まず、眉毛がある。


りりしい眉毛は、ないだろう、猫には!


むかし、わがスティーヴィーは人間猫だ、と書いた。
それは、目を開けた時は捨てられていて、私たちを最初に見たからである。
最初に見たものが人間だから、人間なんだ、と思うのだ。
だけどこちとら猫なんて、わかんないし、
彼を人間として考えるべきなんじゃないか、それが自然だ、と思う。
今はわからないかもしれない。
でも、スーザンボイルの笑顔で歌った時のように
いつかその願いが天届き、いつか人間として
花開く時が来る。
そう信じているわけだが、その夢ほど遠いかもしれない。


仕事が片付き地下で物書きしていると、
妙な猫に出会った。
戸を開き、台所へ進入、食べ物を物色中に私が見つけ出した。
こんな感じで我が家に入ってきているのかもしれない。


それはこいつだ!


こいつがあの臭いの張本人だ!





前狸猫がいたじゃん!
あの知り合いか兄弟だろ?


鼻のあたりはドローネの影もあるが
ドローネと血縁関係はなかろう。


しかし、最近、猫付いている。
猫、猫、猫、猫!!!


私が猫臭がするんだろうか!
しかも幸福なんだろう!


こうしてみると、飼われている猫と野良猫と雲泥の差がある。
親猫がかまわなくなった仔猫を、人間が拾い、生き残った兄弟より
裕福で、贅沢して、何年もの長寿命を得て生き延びる。
猫たちには選ぶ権利はないのかもしれないが
猫という生き物は、野生でないと、野良でないと
本来の姿を失うんではないか、そう思うのである。
だが、残飯を荒らす野良猫は、長寿命を得られない。
これも野性でない証拠だ。
人間用の食事は絶対に猫にはあわない。
成分も気をつけないと、すぐさま病気とあいなる。
塩分や高カロリー成分は体を蝕み体を滅ぼしてしまう。


やっぱ、スティーヴィーは猫にしてはまずいのだ。


餌もなくなることはなく、いつも満足していて
猫用MILK、タウリン配合で低カロリーと、いたせりつくせりだ!
それが、外へ出れば3時間は持たないだろう。


どちらにしても、本来の姿にしか生きられない。


ホームレスに哀れむのが無駄なように
その道を行く者は、それが本質で悲しさなんてものはない。
それが好きだから、できるのだ!
ホームレスに住居を与え着替えを施し、
トヨタの自動車工場のラインに高収入を斡旋したって
自由に生きて来たものは、我慢ができないだろう。


だからスティーヴィーはネコデハナイノダ!
2012.10.17

新しき時代に新しき心!
10月12日
派遣元から退職をして、はや2日!
今のところ、今のこころ、やめてよかったのか?
と、止めて良かったが交錯する。


なんのために止めてのか?


初めて実感する気持ちは、
私は会社を担うほどの仕事量はこなせない、ということだ。
つまり、会社に身をささげるほど、献身さを事業にもてない
関心をもてない、人生をそれにかけられない、どうしても
違う何かがこころを抑止してしまうのだろう。


その違う何かとは、何か?


遊び心のある生活?


日本人として日本人を考えると、仕事に対しての生真面目さが
美しいと思われているが、それは意味がない。
価値あるものが、利益を生まないと
価値ある作業が、利潤を生まないと
ただ生真面目さが、会社を支えることでは
何も文化を生まない、その要求が生まれない。


それがないのがイヤなんだろう、私は!


イヤな経験は、悲しい経験は、肥やしになれど
意味のない生真面目さに、根拠もなく支配されていくのは
なんとも不毛なのである。


それも2日前までのこと!


私が派遣仕事を始めた頃には
お昼休みも、夕暮れ休みも明るかったし
なんと言っても、海風の気持ちよさにびっくりしていた。
ここを去るというのが、なんとも残念だが、それは仕事においてのこと
わざわざ行く気はしない。




今はクラウンパレスになっているが
プリンスホテルも懐かしい。





ここも通いなれた道だが、会社の看板が物悲しい。





お墓の前で私が怖い。


そして、最後の雲、派遣ありがとうございました。
もう2度と派遣で働くことはないでしょう。





いきなり、仕事がなくなるというのは


ビックら仰天ですね!



まっ、いいか!

2012/10/12

FRONT PAGE NEWS
約一ヶ月半ぶりでしょうか!
やっとこさ!更新します。

さて、更新を蝕むほどのことがあったのでしょうか。
まず、アルバイトくらいに考えていた派遣の仕事がかなり厳しい条件下の元
正社員並みの技術体得を求められたこと!


また派遣であるがゆえ、労働スケジュールもかなりきつい、非人間的な要求があったこと!
月半分は深夜勤務で、残りは昼間か夜かのランダム勤務で
最後の月のシフトは早朝しか何もできない状態になり
店や音楽のことなど、かまっていられないハード準正社員対応を求められたのだ。


トンズラも計画されていたけど、そこはもう50歳(当時)、常識的な対応を選択したのだった。
7月の終わりに夏場の退職をお願いしたのですが、契約の関係上、最終月の任意の日にするべきとなり
10月の10日までとあいなったのだ。


それまではそのハードな仕事をこなすしかない。


体力をまるっきり使わない電話対応だけの精神的苦痛はストレスを生みに生んだ


揚げ物の食事は日常化し、自転車通勤なんてどこに消えたのか!
朝帰りはビールを睡眠薬代わりに、体は太りに太って、このありさま!
棺おけへまっしぐらだったのだ。
だが、その生活の後3日を残すのみとなった。


しばらくは店を中心とした生活の戻る。


10.7 
(5日前51歳の誕生日を迎える。)
  


51歳と8日目の朝
前回が7月末日なので、約2ヶ月の歳月が流れたことになる。
前の楽観的な大風呂敷感はどこかに飛んでしまい。
厭世的な未来感が漂い始めた頃には
私は会社脱出の計画は完了していた。
それが、たぶん7月27日前の事だった。
契約がその日だったから。


なぜ私が文章を書く気になれなかったのか。
それは前文で書いた。
牧歌がなかった。
今こうして、最終日を3日に控えて近況を語りたい。
この2ヶ月間の中で何が私に起こり、何が変化したか?
大きなる自分への挑戦と短絡的な自己内面破壊の放置プレイ。
良い事と悪いことが重なり51歳を向かえた。
国内外誕生日メッセージをいたけれど、それが何を意味するかは
私にはわからない。
ただ年を取っただけの節目なのか、言い出したらきりがない。


もうすぐ、田良原公園のひと時とは、おさらばになるが
目を瞑り、いろんな事を思い出したい!

STEVIE のこと!
我が家の道路側にある一階と2階の中間に破れたテントがあって
そこに生み捨てられたのがスティーヴィーだった。
何度も生まれた子猫の集団は、その可愛らしさとは相反して
事故にあったり、カラスに狙われたり、人間に殺されたり
ただの生命が流れいで消えていく循環として存在していた。
それは私には、私の人生には関係ないこと、だったはずだった。
時は秋がスタートし始めた頃だった。


どだい...
私は大の犬好きで、猫は相性が悪く、今まで避けてきたペットだった。
ペット?
私はペットを飼ったのは幼少期の一度だけである。


うそである。


ハムスターがあった。


2度目である。


どちらも私の人生の節目だった。
そして価値のない人生を送っていた頃だった。


自分を自分で不憫だな、と思ったことは、不憫でないので、一度もない。
しかし他に対してはどうなのであろうか?
前から、この上から目線の同情は、傲慢さに思えた。
しかしこの曖昧な感じを感じる不思議さがあるのを自分は感じた。
そう彼、スティーヴィーは命からがら生きてきたのだから!
彼にとって、母親猫や私たち、音、一日を生きること、飢餓は
生まれて初めての経験であり、彼には生きていても記憶にも残らない
もしかして、そのまま死んでしまっても、彼の中になんの価値も見出せない
ほんのわずかな魂だった。


そんな命でも、
目が開いていなくても、(だからスティーヴィー!)
生まれたばかりでないのに小さくひ弱でも
あれだけ床を剥がす大音響の中で逃げもせず
手を伸ばせば、私の手に乗ってきた運の良さと度胸は
わずかではなかった。


しかし、彼を取り巻く環境は全く変わってしまった。
病院にも行き、外国産の獣医専用のFOODとMILKが
一日中、供給され専用の部屋も用意された。
寝る時は人間の横で寝て、一日の60%を人と暮らし
本能が語るスティーヴィーの行動以外は、人間仕様なのである。
だからスティーヴィーは人間的に寂しがり屋である。
私が出かけるときも、連れてって欲しいのである。
敏感に感じて外を見ようとするのであるが
それは野性の世界!それは彼の命を縮め、人間共存の世界を狂わし
捨てられた性、母親から伝授されなければならない猫の生き方の欠如により
思わぬ顛末を迎えるのであろうから。
2012/10/8

MIXIでの記録
我輩も猫である。


古臭さい匂いがする物語は、どこか物悲しい。

2週間前だろうか、1Fと2Fの空間につながっているシャッターテントの
破れに、子猫を産み落としたんだろうか、


時々、
ミヤオ、ミヤオ泣いたのだ。
ミヤオ、ミヤオ泣いていた。
ミヤオ、ミヤオ泣いている。


床下で!


それはまだ外だった!


私が夜勤で帰って寝ている時も、泣いている。
ふと思った、死んだらどうしよう!
蛆が涌き、それはそこに居続ける。
ある昼、何気なく聞いたミヤオ音は2匹だった。
合点いった!母親の声だ!(と思う。)
母親がいるんだった問題ない、母乳もあるわけだし
子猫を外敵から守るためにここで住んでるんだ。
安堵し、そのことを応援したい気持ちになった。


猫の世界は、猫の世界、入ってはいけない世界!


私は完全排他的な、無慈悲な人間ではない。
と、右手をなめながら私は思った。
そうなると気にならなくなった。


ミヤオ、ミヤオ、ミヤオ!


いつしか、そうしていると次第に泣く時間が長くなる。


ミヤオ、ミヤオ泣いたのだった。
ミヤオ、ミヤオだから泣いていた。
ミヤオ、ミヤオそう泣いている。


床下で!


ある夜、野良猫黒猫がテントの上から子猫をくわえて
あの店前の桜を伝って下りてきたのを発見!
やっぱし、そうだったんだ!
よかったよかった!
これでみんなが幸せになれる。
その夜は子猫が泣かない静かな夢となった。


翌日の昼、世界が変わった。

ミヤオ、ミヤオ泣いている。


それは断続的にも、継続的にも脅迫感を生む。
それは次第にわれわれ人間の作り出す生活音に


反応し始め、いる間中、そう


ミヤオ、ミヤオ叫ぶのだった。
ミヤオ、ミヤオ必死に叫ぶ。
ミヤオ、ミヤオそう叫んでいる。


どうしよう!どうすることもできない!
どうすることもできない!
どうすることもできないんだ!


私の力では、助けることはできない。


どうしようもできないんだ!


長い人生!助けられない事だって多々あるじゃないか!
仕方ないことなんだ、それだ人生(猫生)なんだから!
トム&ジェリーの話の中でも、天国行き列車のに乗ろうとする改札口で
川かどこかに袋ごと捨てられ子猫たちが出てくるじゃないか!
母親、助けに来い!おまえの子供だろう!
そうだ!助けに来るから心配ない!
だが、お昼の頃から泣き続けいたミヤオは


さらに悲痛な叫びとなり、なななんと!台所横の冷蔵庫の
付近まで移動し、室内に入ってきたのだった!
ミヤオ!
これで事の顛末は確定的なった。
捨てられたのである。
ミヤオと叫んだ!


沈鬱な空気が流れる中、時間に解決をゆだねる方向が
見え隠れする。
僕たちも捨てる?子猫を!
行き場のない子猫を.......
その日はなぜかすぐに家に帰らず(理由はわかってるくせに!)
先延ばしするために、スケさんうどんに夜食をしにいった。


なぜか、ほとんど食べずに飲むだけ!
頭が痛くなるほど、酔って、どうしようもない!
酔ってもう何もかも忘れた頃、家に帰ると
現実が待っていた。


階段のバタバタ音を出してあがってきた私たちに
強烈な叫びのミヤオが、冷蔵庫下まで来ていた。
その瞬間私の何かが、弾けて飛んでいった。
物が満載の冷蔵所をそのまま抱え移動し
床を力任せに剥がしに剥がした。
すす汚れた板が散乱し、埃がまわった。
携帯のライトにうつる黒いしっぽを確認した。
床に伏せて手を伸ばし体を持ち上げると
逃げることなく、自然に手のひらに抱えられた。
すす汚れたやせ細った黒猫は目も開いておらず
彼はどうにか命からがら自分の道をつかんだミヤオを放った。


ミヤオ、ミヤオ!


不思議思ったのが、ここ選んで生まれてきたんだ!と感じた。
逃げもせず、ベストな人生選択!人間に手のひらで!
チョー、ラッキーな子猫だろう。
それに引き換え私は歩けないほど右足を痛め
一週間近く激痛を楽しんだ。なんて馬鹿げているんだろう。
3時間毎ミルクを与えた事や、みんなの助言も生かされて


今は極楽人生を楽しむ STEVIE Y(盲目だろうと思った)
先日、ペットショップに脅され、動物病院行ったスティービー!
体も洗ってもらって、開いた瞳をうっとりさせていたらしい。
もちろん私の支出である。そう言った私は瞳を閉じた。
わが生涯、猫を飼うのは、これが初めてで最後になるだろう。


STEVIE YASUMOTO 8th Sept.2012

PS

今日の早朝、ゴミ捨て場にいた母親に会った。
ふてぶてしくも逃げもしない。ちらりとこちらを見る。
私はしゃがみ、視線を合わせて、こう言った。
「お前が置き去りにしたテント裏の息子は私が引き取った。
 これだけは言っとくが、彼はもう猫じゃない。
 人間猫になったんだ、わかるか?
 もう2度とそっちには戻れない。兄弟がいようとも!」
そう言うと
「好きにしたらいいじゃない!」
と返答し、前足を隠すようにしゃがみこんだ!
2012年09月18日07:21
このスティーヴィーを私の家に送り込んだ人が発見された。
えええっ!捨てられたんじゃないの?

Mai Hofstad Gunnes

Yes, I sent you the kitten
Miyao, miyao, miao
birthday to you
miyao birthday to you! Miyao birthday to Youchan!
Miyao birthday to you!!!
Take care! It´s great to have a kitten from 51, maybe I´ll do the same one day...

ジーザス!誰かオレを救ってくれ!


人間やってて、わかってもらえない、ほど悲しく思えることはない。
絶望的だ!
時間泥棒だ!
究極の無駄なのだ!
結局決別なのだ。
しかたないか!


わからないから、伝わらない理解できない。
だから改善できない。
だからどうにもならない!


これは自分だけならいいけど、他人様にまで影響してしまうので
ほっとけない。


これが、回りで多々あるんですわ!
ふ~~~~~!いかん、いかん!


最近、本を読む欲望がまた出てきて
ヰタ セクスアリス
おもしろい。我輩も猫であるのだ!(間違っていないよ!読んでごらん!)
ここら辺の日本文学は、今から読んで行くとおもしろいかもしれない。


今の実体験、クリエヰティブ、派遣仕事も必ず肥やしになる。
そう直感する。


心に秘めた仕事辞める感と、そんな軟な私を伸ばそうとする感が
交錯する中、仕事がうまく行かない黒幕を暴け!


これがテーマだろうか?


明日から3ヶ月激動の自己改革とヰッキ改革は進められていくのだ。
良い感じだし。

2012/7/31  徹夜勤まえにて!

泣きが入るには、ちょいと若すぎる!

時を止めないように、希望が叶えられるときは、ひとつ、ひとつ。

泣きが入るほど年ではないんだが、変なところでそんな自分に出会える。



良いのか、悪いのか?

行きつ戻りつ!ゆうるりと変化し叶えられる。



そう、LIVEを見てて、不思議な感覚を得た。

うれしいのか、楽しいのか、羨ましいのか、はらはらするのか、
速さや水滴が落ちる感覚?、風を感じて、瞳の奥の万華鏡が回りだして、
ボーっとするほど見入ってしまう。
どんなに演奏技術があったって、生み出せない何かの存在。
それはシンパシーを越えて作られるもの。
その瞬間私は間違いなく冷静でなくなり、
緊張が生み出す感情移入されたちりばめられた音符が流れ出でその影が、
後追いし、実際に音と絶妙な脳内ハーモニーを感じる。


良いのか、悪いのか?

進みつ、戻りつ!ゆうるりと変化し叶えられる。




さて~、生まれて以来満足なLIVEを若いうちに

やってきていない、そんなことを考えたこともない自分が  

ようやく自分のバンドをやり始めた時はアッという間に失望して

しかし、今は、ここで、このタイミングで、何の予兆もないまま

あっという間にそんな過去の不満感の失望感を完全に吹き飛ばし

心がほっとさせられる。

悲しいかな、これが現実だ。

年を取った証拠だな!



ハッタリと、負けん気と、カッコつけるためだけの音楽活動が横行している中

音楽のあり方、本質を、真意を、これを私は求めているんだろうと思った。

何のための生まれてきた波長と瞬間なんだろうか?

波長の中には何が含まれているか知っている?

わが逃げ場のない上から目線の中には、混乱と不親切しか生まれない。

調和の中にこそ、真実が存在するのだ。



もう私は若くはないのだけど、私には若い人たちの中にそれが見える。


それはなによりも大切なもの。


音が調和して美しくなるように、輝くものである。


これが見えなくなったり、感動しなくなったら、そして喜ばなくなったら

私はもうお終いなんだろうけど、逆に取り返すつもりで生きるべきだね!



変わりつ、帰りつ、夢はまだまだ叶えられる。



さて~次の目標だな。

まずは絶対的自分個性の空間を取り戻そう。

そう、今正に私が目指していた場所へ辿り着いたんだ。

時を止めないように、まずはひとつづつ、ひとつづつ!



今猛烈に音源が必要だ。
ジャンクな過去の栄光や見え隠れする物まね、偽者は必要ない。
新しくてその人の心が反映している物が望ましい。
どうしても新しい感覚な物が必要だ。

2012/7/29
誰のために咲いたの~、それは自分ため!


この時代の歌謡曲は、何でこんなに!
うっとうしい内容の歌詞なんだろうか?
ジェンダー問題どころか、人間の本質を失っている、香りがする。
何でここまでその対象男性にこびた内容の曲を
わざわざつくり、誰を喜ばしたいのか!
漠然とした夢物語をバックグランドMUSICに!


祇園もそうである。   (アッ!またその話!)


あつい!


昨日こう言う事があった。
仕事でタクシードライバーが外国人を乗せたらしく
なじゃら、かんじゃら喋ってる内容が分からない、らしい。
誰もその電話に出ようとしないので
私がチャレンジしてみた。
24時間営業カフェに行きたいそうだ。
たぶん、日本語でカフェカフェといっているはずなのに
外国人だから理解しなかったのだろう。


昨日、こう言う事もあった。
どっかの飲み屋のオーナーおばさんのしゃがれた声で
ワーワー言っている!
全く理解できない。
何回もリピートしているのに、もつれ込んだ内容は
内容なしだった。


英語をもっと勉強して、すぐ分かるようになり、何もかも理解して
日本語を忘れたい。
本当に日本語は要らない。
もうすでに日本語マニアの外国人が美しい日本語体得しているのだから!
そこから学べば良い。
漢字もしかりである。
わざわざ、汚いがらっぱち日本を話さなくてもいい気がするのだ。
特別な時だけ、気のあった人と日本語で喋るそんなスペシフィックで
スペシャルな雰囲気がいいと思うのである。








まず、第一、そんな日本語が通じないから意味がないのである。























向かうべき方向はただひとつ、ただひとつだけ!

店にも出ていないので、店内日記は書けないけれど
われの心情は、いくらでも書ける、そんな感じだろうか?


わが町でにわか作りの夏祭りが行われた。
私がここに来た頃は、やっていなかったと思う。
ん~~太鼓の音は聞こえていたから、細々やっていたのだろう。
祇園!
われ、戸畑っこ、太鼓の音にはちょいとうるさい!


なので、ないほうが良いというところが本音だ。


まず、平らなところだけでやってどうする。


坂を上らなければならないのだ。


みんなも知っているように(知らないか!)
戸畑、大谷は山の上の町である。
坂以外はない。
従って、雨が降ろうが、坂があろうが、進むしかない。
坂になると、子供たちも負担が来るのだ。
大人だけでは山笠は上らない。
それが現実だ。
誰も楽なものはいない。
何のためにやっているかさえも、わからないまま
根性をいれて、ひかんかい!の世界なのだ。
当時は、たぶんブレーキもなかったので
進行経路も吟味されていて、けっこう上まで上がったり下がったりしていた。
これが山笠なのである。
異常な装飾もなく、菊4っつの奇妙なデザインだった。





人形や装飾電気なんか必要ない世界、ストイック感じがする。


ここではその真逆でどうにも居心地が悪い。


山笠?こんなのあったんだ、ねぶた?
何でもありだね!


ちょーど、夜勤だったから、寝られんで困ったな!


町中あちらこちらで太鼓やるもんで、どうも祇園が嫌いになった。
極論を言うと、戸畑山笠だけで十分じゃないか?
そう本気で思うのだ。


しかし、子供たちが楽しそうにやっているのでいたしかたない。


すごく気になったのは、女の子が多い!
いや、ほぼ女性軍団なのだ。
男もいるが垢抜けていなくて、田舎のOXOぽく、しかも弱弱しい、
力強い男衆ではない。


毎回、なぜ私はそれに参加しないのだろう、と思う。
誘われないもそうだけど、誘われてもやらないだろうけど
そこらへんにワクワクしないのは、妙なプライドだけだろうか。
たぶん、子供の頃の記憶とかけ離れているからだと思う。


ならば戸畑に居を移し、過去を振り返ることをやってみるか?
それもないな!
どうしたいんだろう!


生まれ変わりたい。


ただそれだけなのだろう。


2012/7/23
なんとも影響を受けることがないのは、無難な人生!

なんと時間が過ぎ去るのが長いことか!
時間が過ぎ去るのが長く感じる。


一般的に、この前はこんな感じだった。


ええっと!





だが今はどうだ!


数多くの過ちを起こし、かつて経験した知恵さえも混乱させてしまい
スミノフや黒霧に見放され、普通の生活に舞い戻り、安酒?安酒で
良い細胞に試練を与え、シプナスを失い、清く澄んだ水面を見つめながら
心地良い厭世感をつのらせる。


若いな!誰かは今のほうがいいといったな!


オレもそう思う。

体重が55K、いっていない、信じられれない体形だった。


だが今はどうだ!

ヒッポのように草を食べながら、増殖を繰り返している。
体がきついな!


誰がこんな体にした?
でもあの頃にも戻れないな!いや戻りたくない!やせすぎ!


2012/7/17


一生物、つくりなっせ!

ここでは秘密にしておこう。


1985年頃かWINDOMHILLに、ちょっと、ちょっとだけ傾倒した時に
残していたコレクションを10年弱前くらいか再読し前は気が付かなかったけど
ライナーノーツを担当した藤門さんのはなしで、アリスファームを知った。
北海道を駆け抜ける若者の自給自足的マルチクラフト系ファーマー集団、
ぜんぜんわからなく、しかし!  いたく感心した。
当時彼らが上京するさい、駅でシェラフに包まってビバーク!なんて
すごまじいこと書いていたから、ここまで徹底していなければならない、
そう思ったのである。


わが町は中途半端に、田舎都会で便利すぎるのである。
ここら辺が中途半端に、突き詰めの根性をそぐのである。
仕事も選ばなかったら、そこそこあるし、市自体の税収もそこそこあり
福祉もないのと違い、田舎に比べれば格段の住み安さだ


ある程度の水準に文句なしなら、幸福な人生が暮らせる。
ランチャーロケット砲なんて大したことないのである。


だが、しかし、そんなことではダメだ!


最近また湿気ていた情熱が、大雨の中燃え始めたのである。
一生物を考える時、困難さがなければそれはひ弱なモヤシとなるであろう。
困難だから良い物ができ感動が生まれるのである。


ふ~!


時間がたつのが遅い。


この50歳からの出発で準備に1年かかるとすれば
なぜ、40代に考えていなかったのであろうか。
それはおろかでフットワークが遅い分また加速が遅い。
原因は私がまだその計画をヴィジュアライズ出来ずにいたからだ。
最近、息巻いているが.....まわりはどうだ!
まわりの人は、私の驚愕の計画を現実に照らし合わせられない。
これは不幸なことで、失くして気が付く悲しさよ!のパターンである。
だが、私には知ったとではない。


みんなもそんなこと知ったこっちゃないだろうが!


アリスの話に戻るが、冬の失業対策としてカフェを作ったらしい。


また農耕運機を利用してワゴンカーを作ったりして


実にクリエィティブだ!


一つ一つ前に進んでいるのがすばらしい。


ここは我慢しどころ、今が一歩一歩の前段階だから
先読みして今をがんばったほうがいいかもしれない。

2012/7/10
一生物が続かないわけ!

新しい人間関係を作れば、作るほど、予期し得ない事態になる。


* 会社を辞めたいと愚痴るのはなぜ?論
何にしたって、生きてるものなら一生物なんて、ありえんジャン!


そうなのである。


続かない、それが現実だ!


椎名林檎が亀田師匠に、一生物のバンド作るから、加入して、と頼んで出来た
東京事変さえ、7年で終わったのである。


では、今の私の心境は?


同じく辞めたいのである。


でも辞めない。


毎日何度も辞めようと思うけど、辞めない。


時期が来れば、辞めるけど、今は辞めないのである。


でも良く考えたまえ、辞めることが良い解決策になっているだろうか?
仕事を辞めたところで、何か良いものが見えてくるのであろうか?
それが、不思議に見えてくるのである。
一般的に、仕事をすぐ辞める人というのは、信頼感、信用がない。
長続きせず、怠惰な印象が残る。
何でも厭きやすく、ひとつのことを結論まで持っていけない。
これは事実である。


私の実体験で保障する。


この優柔不断な性格が、どれだけ私の人生をどん底に追いやったのか、
は・か・り・し・え・な・い!
本当にお金がなくて、立ち往生をしたことも数知れず。
良い思い出とも言いがたい。


しかし、今の私に対してその理論は通用しない。


若い頃の限定話なのである。


しいて言えば、20代までか!


30代になって、仕事が定着していないのは、どういう学歴があっても
もう、くず扱いで、どんなに努力しても這い上がれない環境にある。
ましてや、40代、50代ともなると
そもそも仕事自体、内容にわたって底辺のクラスであって、辞めようが、
飛ぼうが、元は痛くも痒くもないわけで、はい次!な訳である。
その条件に合わないならトットト辞めてけれ!そういつも言っているのである。
時給の件も、辞めたら困るから時給上げる!ことは死んでもおきない。



...................................................




あっ?そんなことどうでもいいだって!
あっ!そう!


そうだな~~!


うん、うん!


しかし人間関係は作っていなければならない。
そのまず第一歩は、進み始めている。
私の瞳に二股の山頂が写る頃、そこは雪景色になっているだろうか。
いや、フォーヴィズムのような激情が走っているだろうか?
こことは違う場所で、新しい出発をもくろむならば、
得る、失うとは別の意味の、継続が必要だ。
そこには待ち望んだ、真の創造が待っているだろう。
時間がない。
ただ焦るのみなのだ。

2012/7/6
失われていくもの、と、生まれ出いるもの。

限りなく純粋に付き合いたい。


これがひけない私の希望だった。


何年前か、私の指の隙間から落としたひとつの赤い透き通ったガラスの指輪は
今は乳白色にその様を変え、時折涙の粒となって現れた。


そしてまた何年前か、指の先から輝きを落としたのである。


次から次と流れでいる湧き水のように純粋なものでないといけない!
濁ってしまえば、クリスタルな記憶の風景を残しえないのだ。


人間は、汚く、自己中心的で、先も読めない愚かな者といってしまえば
もう、そうなんだけれど、透明感の中に、大切に保管していれば
それはダイヤのように硬いのだ。


ん?何がいいたい!だって。


たとえば、美しさと正しさが平等にあるなら
そこはもうすごく広く澄み切った世界で、そこから生まれた人間の
不純なところも、きちんと美しさとして存在していて
あるべき未来をこつこつと創造し、進んでいるのだ。


だが今の世界はどうなんだろうか!


まるで、檻のいれられた野獣のようにウロウロするばかり。
これじゃ、どうなっていくか分からないじゃないか?
どうなるんだこれから?
そう訊かれても、何も答えられない。
ただ弱いだけ。
すごく薄くて、黒いウエハーのように
もろくて、壊れやすい。
そして、何もないだけ!無意味なプログラミングだ。


それがわかって...........
先に時を刻んでいるのに気付けば加速的に年をとる事に気が付き、
子供たちが今度は自分の人生に憂い入れているというのに
湖畔で、吹き込む雨の中、猫熊眼で遠くの緑を見ている。
それじゃイカンだろう。
それじゃいかんだろう!OX郎君!


なにを感傷ぽっく、愚痴っているかだって!
決まっているじゃないか!
辞めたいんだよ!
仕事が出来ない?
能力の問題だろうか?
うまく、いきっこ、ないことをやっているんだ!
ガラが悪い、という意味がハッキリ理解できた。
そんな事ないジャンと思って、だから50年間気が付かなかった。
意味はガラが悪いのは、ガラが悪い人だけじゃなくて
ここでのあり方なのだ、そう私も含めた全員がガラが悪いのだ。
虚勢を張って薄っぺらい自己満足に似た習慣を繰り返している。
それが自分や他人、そして誰のためにもなっていない。
そして誰の未来のためにもなっていない。
ガレキ処理やロケット砲がいい例じゃないか。
そんな人々を相手していれば、悲しさは涙さえも失うよ!


先日、土曜日の夜中、こちらの手違いから、どこかの社長から酔って
かなりの苦情を頂いた、おまえを絶対許さん!と何度も言われ
翌日、店に来て謝罪を強要されたが、こちらも鈍感になっていて
いつものことで!はいはい、扱いで徒歩で帰らせた。


さらに翌日、私に謝罪があった!
えっ?私たちが間違ったんだよ!
私は行くつもりだった。酔いもさめれば話が良くなるよね!
その話は、こうだった。
その方は非常に常識人のいい人で、だが酔えば人が変わるらしい。
なんと、涙が出るほど薄っぺらいじゃないか!
人の首を取るつもりで、がなってんだから最後まで、強気を通さないと!
さらに話によると、こっちがお客さんらしい!
お客さんに怒鳴り上げてるんだから、たいしたもんだ。


中身のない虚勢マント振り回し、この繰り返しなのだ。


そんなその怒号に中、でもみんな楽しそうに仕事している。
本当に強い人々は彼女達なんだろう。
怒られてナンボ!(理由は考慮せず、怒らせないとお金にならないの意)
それって、結局ストレス発散のため?老人介護も?
夫婦喧嘩のように結果的に大騒動してても元に戻るんだから、相手にしない。
それが、本質なんだろう。
それが、唯一、この町の強さなんだろう。

2012/7/3
弱い私と強いわたくし!
多々、多々あるよ、統率の出来ていない組織!
ほとんどが個人的意見や方法論で進められているものばかりだね!
やっぱり、そこは、デッドエンドな世界。
終わっていく前の濃度の濃い不純物を吐き出す場所。
今になって、ありとあらゆる場所がそんな状態じゃないか?


だからこそ、生きるための変化力がいる。


変化することはそんなに難しいものではない。


覚悟が決まりさえすれば、容易いことだ。


さて、変化とは何だろう。


このところ、最近、私の心をメランコリックにさせるものは、
先のない人の心と愚かなこの町の風だ。


しかしやがて、道は開かれ、前のような大きな動きがある予感も
するにはする。


いや確実にある。


それが起きる。


何も問題ないのである。


見ていろよ!
2012/6/29
ガレキ処理を北九州で!
個人としての見解は、絶対反対である。
文句を言いたい事件は昨今、多々発生していますが
そうしたって、事が変わらないことに慣らされていて、どってことないんだけど、
この手の処理は関東がするべきで、なぜ、関東、関西はもちろん、どこからもこれは日本の問題なんだよ~っと!みたいに大した反応のないガレキ処理問題をわざわざ北九州でするのか、この裏の思惑と前評判の柄の悪さの上塗りが問題だ。
そんなこと考えるなら、どんなに苦しくったって、人口が減少だの、高齢化だの、
商業産業が育たないなど、構造的に取り組まないといけない市内の問題に取り組むべきで、とやかく言っても日本のゴミ捨て場は北九州に決定してしまった今、過去の汚名も晴らされず、イメチェンも出来ずまま、あるかないかは関係なく放射能問題付きなガレキを処理するのなら、もう市をクリーンイメージ化することは諦めて、いっそ安定した地下の岩盤に核処理保管施設を作り、大の破格の価格でそれを受け入れ、その代償に市民全員生活保護で還元するのはいかがなものか?
それなら反対意見は出ない。
だって、いまや市内の高齢化が進んで日々の生活に困っている人も多い!
先もない人生観で、今が苦しい人ひとに、セシウムがどうだ、こうだって言っても、始まらないし、それより今の瞬間を緩やかに生活がしたいと思うはずだ。


ん!過激すぎる?
殺されないかな?


大繁栄していた北九州の敗北はずいぶんと昔決まっていた。
私がまだ20代の頃、それが決まっているように思った。
それから30年弱が過ぎ、ゆうるりと取り返しが付かないところまで来た様に思う。
今や東京に行かなくとも博多に出てみるだけでハッキリ分かる。
すべてのキャパシティーが違うのだ。
町が町の機能をして、隠すものが隠れ、表舞台に出るものが表に出ている。
それと営業が可能な人々が町を歩いている。
この営業が出来そうな人、言い換えれば、軟派が出来そうな人!
北九州では見当たらない。
昨日、黒崎の商店街を歩いてみたが、高千穂のスーパー並みの人口比率と年齢なのだ。北九州では強気な営業は出来ない。
もう待つ販売しか残された道はない。
分かっている会社はもうそれをやっているのだ!
落胆した私は井筒屋黒崎店に入ってみた。
一階、あの狭い敷地に人だらけなのである。(本当か?)
学生や若い主婦、年配者のバランスも良かった。
二つのスーパーがあり、マックはなかったけどロッテリアがあった。
(マックは賢い!ロッテリアは異常に高い、のが味噌)
これに似たものがイオンで展開中である。
イオン東田内はいつも快適できれいで多くの人がいる、
つまり都会的なのだ!それしか人々を安らかにさせるものはない。
2012/6/22
中央街活性化イベントほろ酔いステージ!
この手の話題を書き始めると、ため息しか出ない。
結論は、明快に一言!
着目がもうすでに遅過ぎる!!!のである。
北九州に、八幡に、中央区に新日鉄全盛時代のような
賑わいを復活させよう、と同じくらい不可能なことなのである。
絶対無理だ!と言い切れる。
地球を止めるぐらい難しい!
.....だがひとつだけ方法がある。
それは秘密だ!
ふ~!


どこでも同じ、子供でも知っているように繁栄に後には衰退が来るのであって、
当たり前に勉強したように、その繁栄時期に対策を取っていないといけない。
でも、だいたい、大人はある時期から急速に悪変化し、工夫をすると忘れて、
そして、実力を持った魅力ある対象以外は調子に乗ってデブって
衰退への道筋を作っていく、これがまことに自然の流れなのである。


今回、この手の招待状を頂く前に、事前にこの活性化協議会らしき会に
出たくないし、出るつもりないけど、参加しないかの要望、要請があった。
もちろん出席しますと形だけ答え、今頃になって送られたものは
去年と同じ、むちゃな参加募集店依頼と、金券買っての招待状なのである。


中身を見ると、バンド演奏なんて物が書いてある。やる気もないがふと思う。
これなら協力できそうなのだが、もうすでに刷られたチラシがあるのだから
すべてが決定された様子だし、写真の様子はバンドらしきものがない。
どう見ても公民館の文化祭的であって、出席者も、もう来てるのである。


完全、部外者排他的イベントは出てくる時は身内内で決まった組織なのだから
その世代が中心になり、その世代が儲かり、その世代が楽しむもので
われらが中央区の違った種類の店舗には、全く無関係で
何ひとつ影響を与えない、カスリもしないイベントなのである。
なので、出席、不出席の回答は袋ごとゴミ箱行きで解決する有様なのである。
つまり、何の応答もなく毎年何回も袋ごとゴミで捨てることになる。
もうこのようなイベントは若者には逆効果で、だらだら飲み歩くなんてことは
若者にとっては、絶対したくない、最カッコの悪い最低の行為なのである。
つまり、これは無視し、目的は何かが儲かっているか言い訳作りなのだ。


捨てていいの?って!
おっと!ご心配無用!その後リアクションは全くないのであるから!


私は今まで多くの団体や非営利組織に関わってきたが
まず100%何も動かないのは必死で、お金が出ていくだけである。
これは、今の政治と同じで、権力、財力があると思っているほうが
ない方に、なにがしらのサービスを施すための資金を集める手段なのである。
そのような見下ろすタイプの目が文化的じゃないので、
やることはみな同じで、飲んで食う、少しシャレててバンド付きなのだ。
見てるほうには失礼極まりないのだが、いたしかたない!
なにせ、不参加のですから!


不満があるのであるならば、自分でやればいい!


それがポイントである。


北九州、最後のご奉仕に、何かやりたいのである。



2012/6/14
いつまでも止まってられない。
変わってるか~~~い。
性格のことじゃない。


変化しているか~~~~~い
私の体のことではない。


はやく、起きるのならお酒もひかえないと.....
を活用して、酒を控えるために早寝しないと....


といっているだけで、実を言うと、酒が体質に合わなくなっている?
飲みたいんだけど、その後の具合が、良くないもんだから
考えるな~~!そんな感じでしょうか。
普段から、IKKI にいると、今のこの静寂の良さが分からなくなってくる。
片付けられたこの部屋で、昔と変わらずブログやHPをUPしている。



2004

多くの人が、ここで育ち、変化していった。
今は付き合いがなくなった人もかなりいる。
この前4年ぶりに来た方がいたけど、こっちはあやふやなんだけど
ばっちり記憶の中にしみこんでいるのだな。
そんな気がした。


今年は変化の年だ。
もうこれが最後かもしれない変化の年!
いかにフットワークが軽いかがカギになる。


あ~~~~~~~自然が見たい!
だめだ、自然だ、環境が変わらないと、

たとえば....




いいね!


人のやさしさとは


自然のやさしさとは違い。


われわれが求めているものともかなり違う。


変化が欲しい、変化が美しい、変化が最大のイベントなのだ、


変化しているからこそ、生きてうまく死ねるのだ。


変化に対応しながら、変化を率いて


交換ではなく、完全な変化だよ!


2012/6/11
LIVE は魔物で、超スィート!
昨日、LIVEが終わったあと、酒を飲んでしまった
意外にクラッと来るかな、と思えば、こないんだな!


人間、タイムリーに何ができるかというのが、問題だな!
LIVEは魔物、いい経験をした。
それとやはり、仲のいい仲間と打ち上げするのも
これまた格別なのだ。


音楽、この何の意味もなさない音作りに命をかける人みるし
そうでなくても申し分ない。
2012/6/10

先端芸術クリエィティブ・Cの情熱。
何年か前、NPO法人を作った。
好戦的な意味合いの組織だった気がする。


そうやって、学ぶべき事などなかったが
ひとつだけ、肝に銘じたことがある。


人を当てにしないことである。


東京、北九州をつなぐ知識人や経営者が参加したこのグループも、いざ活動となると、まったくクリエィティヴでなくなるのがおもしろい。
当時良く参加の経営者からこれを作る意味とその後の計画は?
を、必ず聞かれた。


それがハッキリしない団体?裏をかかれる!ありさま。


はっきり道が見えないままで動かすNPO法人の私は何を考えていたのだろうか?
そりゃ決まっていた。九州を一単位で芸術活動を広げていきたかった。そのためには、その創造性と見る力が必要だった。


会が分裂しかかった頃、歴史として、功績として、一本の映画を撮った。
テーマは、ほんまものの日本人あんた持ってますか?だった。
素人のわりには、よくできた1時間物の映画だった。
感情的にも、意固地的にも、ここで負けたら終わりだ、と思ってやってきたこと
今頃になって、役に立つと思う。


IKKI !IKKIの中は狭い。


この暗闇の中、宇宙であれば、なんら問題ない、無限大の広さなのに
20mX5mは、あまりのも狭かった。


でもそれは錯覚で、月食でかけた太陽のから光がこぼれるように
光が暗黒の中からここに突き刺さってくる。


そんな気持ちに駆られる。


いてもたってもいられない。
そんな感じなのだ。


可能性は500%あって、そのために準備しながら生きればいい。
絶対うまく行くのだから、自分を信じればいい。
だって、どこを見渡したって
信じられないほど、とがった完成の持ち主なんていないし
ガッンとくる新しい活動が見られないじゃないか
話しておもしろい人もいなければ
意味わからなくても強力な力で引っ張ってくれる人もいない。


そうだ、ウィットだ!


やはり。


それしかない


2012/6/4
あなたと一緒に、奥地で最先端!
どうやら、そろそろ神の怒りが解けそうです。


いや~~、長かった!


一週間とチョイだ。


考えてみれば、短いな、2週間を奪われなかったから。


飲む気はないんだけど、ビールが飲みたい。


そう素朴にそう思う。


昨日みんながビール飲んでいるので、羨ましく思い
な、な、な、なんと、コーラを開けちまったい。
濃い琥珀?甘いねぇ!


このところグリーンツーリズムやウーファーに関して調べているのだけれども
けっこう、半分田舎の過疎化が厳しい地域は積極的に取り扱っている。
私が言っている観光地、由布院や安心院、九重、阿蘇は厳密に言うと


田舎ではない。


どちらかというと、北九州より都会ではないだろうか!
由布院では.....
震災前の21年は、宿泊だけでも年間25万人、トータル400万人と
来客があるのである。
つまり、商業都市として健全に完全に成り立っているのである。


IKKI ができた頃、まだ北九州市って、市なんだなと思っていた。


しかし、工業的な誘致や商業的なアプローチが、
うまく行かない分、非建設的な無意味な支出ばかり増えて行き、
プリミティブな商業行為が目的の大企業土地売買の戦略だけが
氾濫する未来なき町なのである。


一昨年か、私が市制に絡んだ時、市長自ら説明した未来だし
一過性であっても、どんな祭りでも市民が喜べば、ただそれでいい。
だからコスト高の文化事業は尻つぼみに、その背景では市民の生活を守る
コストが増加の懸念が語られるもどうしようもない状況だった。
誰が悪いのではない。
何にも言わない市民が悪いのである。


素直に、そのまま、町に影響が出ていると思う。


狙いは、次は、商業都市だ!


そう思うのである。


なんてったって商業都市の生産に携わるのが一番である。


小さくたって製造業が鍵だ。


これから起きる経済的な激動が、日夜口すっぱく語られる中、
大きな津波が一日も立てばまた平面な水面に戻るように
経済的指針の大きな数が動いても、また元に戻る。
その繰り返しで、水位が下がるのが普通なのだから。
ご用心!


健康を得て、動けるようになったならば
即座に、この対策に移行しなくてはならない。


ゆっくり温泉に使ってる場合じゃない。


それと、ぶれない最先端である。
この点分かっている人は大都会でもいないと思う。
最先端でなくては意味がないのである。
創造の世界に場所は関係ない。
唯一関係あるのは、英語の表現とNETの世界だけである。

2012.6/3
もう一度だけ、時をとめて!

生まればかりで、止めろとは何をおっしゃる、てっ、感じですが
最近、田舎の活動を調べていると、あることに気がついた。
これ、わが町にも共通しているんですが、
何かとお年を召した方を中心とした発想が多い!
いや、それだけといった様相を呈している。
これではいけない!


音楽で解釈すると分かりやすい。
我が世代が70年代に生きて、その前の世代がジャズとすれば
圧倒的にジャズ世代は少数派だ。
それ以外は何だ、ってことになるが、
猫も杓子も、クラシカルミュージックなんだな。
この前、近くのLIVEカフェで、弦楽3重奏のライブしていたが
お客さんもいて、賑わっていた。
これがジャズとなると、格段来客数が減る。


これがロックとなると、さらにご年配者には未知の世界ぽい。
ここの各断層はかなり、音楽を生業とする人々にとって
まことに厳しい事実だ、特には日本では!
更に田舎に行けば、行くほど、その傾向が強く
われわれが、興味を抱く音楽なんて、絶対300年は早いサウンドだ。
いや違う、もうこの時代の音楽は絶対、田舎には滞在しない。


つまり、ジョンケージ、スティーヴライヒ等現代音楽から始まって
フリージャズ、環境音楽、ノイズにいたる音楽は存在できない。


息さえできない。


80年代から始まったサンプリング技術を生かした、新しい音は、
商業的に成功を修め、クリエィティブなサウンドメイキングは
DJにも波及し一大サウンド市場をにぎやかにさせた。
しかし、ここで、さらに奥地ではそんなもの必要ない。
東京等の大都会でしか、必要性がないものを、
そこに住んでいない、それを愛するものは、孤立した無人島人である。


これは、次世代のハードロックオンリー時代人にも受け入れられない。
もう、どうしようもない。
われらが私人が生き残るには!


レオナルド藤田(日本の画家)が、日本は300年遅れている、と言い放ち
日本を捨ててエコールドパリに世界に帰ったように
海外に逃亡するしか、手がない!
なんという国に生まれたのだろうか!


しかしまだ手ある。


すぐに、あきらめるわけには行かない。


そんなことを考えると、人間って結局、文化、文化とかいっている事が
退廃なもの接触していることに気がついていない無知がわかる。
する勇気も、気持ちさえない自分たちの身代わりとして考え、
好き放題放蕩して死んでいった人々の歴史から、
この世のあほらしさをつまらなさを楽しく楽しむ血のついた享楽なのだ。


山頭火や平野遼など、関心も持たない人でも名前くらい知っているけど
実際、生きていても、今よりも関心をもたれていないであろう。
みんな無視、死んでちょい見、そんな程度だから


よっぽど、クラシカルなものの方が、簡単に自分を崇高に感じれる
いい題材なのだろう。
2012/6.1
時は今、生まれたばかり。
鋭く、野蛮に、目を突く朝日に、頭を痛くさせられ
柔らかく、優しい、歩みを進める私、今、時は生まれたばかり。


新しいものないのだが、新しく生まれ変わることはできる。
それを感じるには風が強い日がいい。


私は昨日いつもの湖畔で、まさにクリエーションを見た。
ベンチで作業する老人と子供。
手作業がこなれたその老人の木細工作業を真似るたぶん孫!
同じように、柔らかく、そして、野蛮に小枝で残材を釘で打ちつけている。


今日は少しうずくので、決められた数量を少しばかり越えた
緩和の粒を多量の水を飲みながら、それを見た。


天気がいいわりには風が強い。
両耳の横を駆け抜ける黒崎風は
ほのかに有機性の香り、婚族が焼けた焦げ臭さが含まれている。
生まれたばかりの時は、黒崎を浮遊し、八幡を抜けた。


黒崎。


子供の頃からなじめない町。


しかし今すこしづつ、緩やかに解け始めている。


時々、思う。
なぜ、北九州から離れたいんだろう。
長く住みすぎたから?


田舎も同じ、下品で、がさつさは似たり寄ったり、2.3年住めば
どこも変わらぬ嫌な日本が見えてくるのだ。


時々、思う。
なぜ、猛烈にここから逃げたくなるんだろう。
町に、ふるさとに、日常にあきたから?


ちがうな!
風の速度が違うから。
緩やかな風だけだと、伝わるまでに年老いてしまう。
だから、風に乗せる単語があふれるくらいでちょうどいい。
私は伝えたいことや作りたいことで、悶々とした日々を暮らす。
もうこれ以上介護の仕事は、できない。
表現したいことや、残していきたい星のかけらを
もう、そろそろ直視したいだけなんだろう。


まだまだ、人は分からない。


多くの影響を与えるツワモノの出会いをこの年で失う必要性はない。
生きるだけの人々が、ただうごめいているわが町。
生き方も、信念も、魅力も、さらけ出すパワーも、押し切れる独断も
命を懸けた生き方も、誰にも引けない信念も、誰にももてない魅力を
持てる人を見てみたいのである。


2012/5.29


珍しくスタッフサービスが連絡をくれたのだが、
それは空前のお仕事依頼だった。
つまり、私は前の派遣会社と勘違いをしていたのだ。


テック?


非常識ではないと信じている私は、実は社会に当てはまらない人間かもしれないと思わされる瞬間垣間見る。
時代は刻々と移り変わり、10年前、さらには20年前最低の生活にロマンティズムがあった、だが今はどうだ。


酒で焼けたこの体で、俺は底辺の仕事から始めることができると豪語していたその頃、とは状況が変化したこと気がつかない、おちいるまで足を進めてしまい這い上がるだけで生死を彷徨いそうな自分を垣間見た。


何が良いのか、悪いのか?
日本の未来がどうにもならないと分かっていながら、お江戸にも行くことが出来ず
これといった計画、解決策なしに進める時間浪費の歩みは年を取りすぎた私にはどう写るのだろうか、答えはただひとつ、やべ~ぞ!このままじゃ!


そうやばいのである。


ある決心がもう生まれているのだ!


私の父が残してくれた唯一の記憶と記録!
それはここのある。

それはこれだ!






小学の頃、連れて行かれた河内貯水池の一角である。
ここで焼肉をしたこと、キャンプらしきことをした。
............していたらしい!
強力なアメリカンナイズが駆け抜けた青春時代だったが
この記憶だけは忘れなかった。
そこで今だ、日本酒片手に、父は人の世話をしている。
そんな運命だったのである!


自分が50代になる頃想像できない時代、そう思っているまま50歳を過ぎた私が熊のぷーさんのようにあわてる姿を垣間見る?


そろそろ来ましたぜ!だんな!


何であれほど派遣の会社の人は社会を、会社をアプリのように考えているのだろうか?アプリだ、アプリだ!

残された課題を手をつけずに進めていき延命工作を続ける斜陽産業!
こういえばサッシがつくだろう?






最近、携帯を変えた。
と言っても、前持っていた携帯の周波数が変わるとか何とかで
強制的にかわるのだが!
あらかじめ決められた機種の中で選択するのだけれども




もし、それが本当の感覚なら、時代は水面に立たされた針のように

浮くとも、沈むともわからない、はっきりしない、冬の空のようだ!

時代が違う者同士がはっきり共有できるものは、ただ人間であること!

私たちの立ち位置は、だから、はっきりしている。

そんな、雨なのか、涙なのかわからないある日、私は黒崎駅にいた。

2階なのか、3階なのかわからない空中の遊歩道を見た、歩いた、聞いた!

スターバックスなくなってんじゃん!

COMCITY、なんと寂しいことに閉鎖された頃より緑がかっていた。

緑になあれ!

黒崎駅とはなんと、印象的で、暗い駅なんだろうか!

まずは、バックヤードを埋め尽くす工場地帯の蒸気が冷たい!

群青色が冷たい、アーケードの高さが冷たい、急そごうのビルの幅が冷たい、

コムシティの配色が冷たい、そこに立つ私のユニクロジャンバーが冷たい

血の色なのに!

むかし、から、冷たいって知っていたよね。

むかし、から、近寄り難い何かがあって、近寄らなかった。

むかしから、恐るべき何かがうごめいていて、足を向けなかった。

わが故郷、戸畑区の大谷は東区に入り込んだ裏面に位置する。

つまり表裏一体のようなものだった。

だが私の若いは、乗換えを強いられても遠い小倉に向いていた。

なぜだろう。

戸畑から見える海沿いは、関門海峡をにらみ、下関彦島竹の子島と交差していて

実に美しかった。

いつも裏向きに歩いていたのに、今は正面を裏歩きしている。

困ったものだ!

だからぁ~~~~~~もういいか!

実を言うと、あそこから下関越しに見える砕石所は、秋根の近くの

あの場所だったのだ。

3/5 2012


   
   
  

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